いい歳したヒトについて思うこと
どうもこの数年とても気になり、その度にタメ息ばかりが出まくる事がある。
地下鉄やJRなどに乗って利用駅で下車する時に、ホームでドア前に立って降りるのを邪魔する連中が増えている事だ。
中には降りようとしている最中や、まだ人々が降り切っていないのに、いやそれどころかドアが開いた瞬間に、降りようとする乗客をその網膜に映す事なく、我先に乗り込んでくる連中が実に多いのだ。
問題はその多くが男女の区別なく、何れもいい歳した大人であるという事だ。
しかも「すごく」いい歳した・・・
新幹線、航空機、電車内、ついでに喫茶店で、大声で携帯電話で会話しているのも、やはりこの「すごく」いい歳した大人が圧倒的に多い。
「自分探し」に忙しいこの大人たちは、図々しく、礼儀を知らず、マナーを守らず、モラルも忘れ、自己主張が強く、実に自己中心的に見える。
権利は声高に求めるが義務を果たさず、マスコミの情報のままに流され易く、まだまだ若いと悦にいっている世代である。
「チョイ悪オヤジ」とか、「艶女」とか、「あこがれの海外生活組」とか、「田舎生活」とか、「熟年離婚」とか、「娘と同じ歌が唄える」とか…数え挙げたら限がないが、何か、「大切な自分」さえ満足すれば、という感じがあまりに強すぎる。
所謂70年安保の時代をうまく泳ぎ、バブル時代を享受したこの大人たちは、世代の責任を総括することなく、今日も人の迷惑顧みず、自分だけの人生の旨みを未だに味わおうとしているのだろう。
「誇り」を失くした事にさえ気付かない大人たちの行き着く先に待っているのは、何だろう・・・
ヒト以外の動物は、厳しく、情け容赦のない自然の中で、「子育て」をし、「餌」の獲り方や、「群れ」の中でのルールを教え、「死」の予感を動揺なく受け入れ、「群れ」を離れて、ひとり「死」を迎える。
それが本来の「種の保存」の「リアル」である。
ついでに意訳だが、英国のD・H・ロレンス(デヴィット・ハーバート・ロレンス)の詩の一節に曰く、
I never saw a wild thing sorry for itself
A small bird will drop frozen dead from a body boogh
Without over having felt sorry itself
動物はみじめな顔なんかしない
木の枝から、凍えて地に落ちる鳥は
決して自分を憐れんだりしない