「和して同ぜず」

調和と同調の違いは何でしょう?


調和は東洋的で 同調は西洋的な感じがするけれど、同調圧力は 日本的...?


「和の精神」について 考えてみました。






西洋と東洋では、考え方の土台が違います。


狩猟民族と農耕民族という 生活手段の違いが

文化や価値観の違いを生んでいます。

(大雑把な分類ですが...)





狩猟生活では、強いか弱いかの優劣と 生き残ることが結びついています。


負けると 命が脅かされる。


自分が 生き残るために、より優位に立とうとする競争意識が 個人主義に繋がっています。





一方、農耕生活では、他者と助け合い 共存することが 集団の繁栄となり、その恩恵を 自分も受け取るという 集団主義の傾向があります。


自分が 集団の一部となり、集団を 自分事として とらえる考え方です。







西洋の個人主義と 東洋の集団主義という背景が、それぞれの民族の 価値観や文化の違いに表れていますね。




西洋で大切なのは、個の自律、主体的であること。


なので、多種多様に 自律した個をまとめるためには、普遍的な原理が 必要だったのでしょう。


一神教であること、規律やルール等、枠組みを作って 人々をまとめるという考え方も 理解できますね。


自然さえも、枠組みの中に 閉じ込めようとしている。





一方、東洋で大切なのは 全体の調和と秩序。


白黒つけずに曖昧なまま、落とし所を探る感じ。


ぶつかり合わないよう 折り合いを付ける。


全体 (自然) との境界をなくし、共にあろうとする感性が、万物に神を見いださせたのかもしれませんね...







優劣の物差しであったり、違いを排除して 型にはめる考え方は 極めて西洋的だったと思えてきませんか? 📏📐


世界中が 西洋的な考え方に覆われて、現象を大きく動かしてきた(文明が進んだ)けれど、何事も 過ぎたるは及ばざるが如し...です。





西洋 ・・・ 閉じる、左脳的、思考

             現象 (見える世界) を重んじる


東洋 ・・・ 開く、右脳的、感性

            潜象 (見えない世界) を重んじる







アジアの時代が来ると言われています。


潜象側を重んじる方向に 舵が切られる時、軸になってくるのが「和の精神」です。




「和の精神」とは、一言で言うと 調和。


自分も含めた 全体の調和、ハーモニー、秩序と安寧を重視する精神文化です。


きっと、見える世界と見えない世界 (現象と潜象) を分けずに 重ねたまま捉えているのでしょう。





1人1人の内側に、見えない世界である「真善美」を求める精神があって、現実と照らし合わせているはずです。


同時に 潜象 (見えない世界)、つまり 場 (空間) を内なる「真善美」と重ねていて、ズレると心地悪く、ハマると心地よく感じている。


場を満たすエネルギーと共鳴している...






現代では、その感覚が麻痺させられている感じ。


規律やルール等の枠組みが重んじられ、和 = 足並みを揃えるというような意味合いで使われていませんか?


全体を自分事として捉える傾向と 見事に合わさって、同調圧力やら、空気を読まされるやら...


表面的には 和しているように見えますが、見えない側は 全く 和していませんよね?


場 (空間) の心地よさを感じる 自分が中心なのだから、自分を抑えて 集団を優先することにはならないはずです。






「真善美」は 自身の内なる光 🌟


「自灯明」(じとうみょう)って、これのことじゃない?






ちなみに、「真善美」の反対は「偽悪醜」

... 何を思い浮かべます? 🌀




長らく、判断の基準や尺度を 外側に持たされていたけれど、自分の内なる「真善美」に照らし合わせた時、これまで価値があるとされてきたもの、例えば 権威などは 急に 色あせて感じたり、違和感を感じたりするのではないでしょうか?


現象は手段であって、本当に 手に入れたいものは 自分の中の 心地よい空間なのでは?






時代は 西洋から東洋へ、現象から潜象へ。



「和の精神」が 新しい世界を創っていく🔥



内なる「真善美」が 私達を 力強く 導いてくれる。







世界は 快方に向かっています。


膿出しの期間は しばらく 混沌とするかもしれませんが。


外側に向きがちな意識を 内側に向けて...


押さえ込んできたものは 反発して暴れ出すから、各々が 感じきって 解いていくしかないけれど、見えない側の後押しがあるから きっと大丈夫です♪






お読みいただき、ありがとうございました❣️