わたしがいる、という感覚。

当たり前過ぎる事実。

だから、それ以上、深く掘り下げられることは
あまりないのだけれど…

実は、不思議な感覚なのです。



人の脳は、分かれていないものを 認識することは
出来ません。

それそのものである時、それと一体である時は、
それであることが認識出来ないのです。

ん? ややこしい (๑• . •๑)?

では、日常に例えてみると…

日常とは 日常と離れた時に ようやく分かるものです。

日常と 日常でないことは 分けられますよね。

そして、日常でない時、日常と離れた時に
日常というものを 認識できるのではないでしょうか?



これと 同じように考えると…

“ わたしがいる、という感覚 ”
それは、わたしが分かれているから。

“ この身体が わたしである、という感覚 ”
それは、わたしが この身体から離れているから。



よくよく 自分に向き合うと、きっと 感じられるはず。

生きているわたし、生活しているわたしを
ずっと 見続けている、もう1人のわたしの存在。

さらに、わたしの存在が感じられると、
この世界の仕組みが 見えてくるのです。



わたしと もう1人のわたしとの関係は、
自分と 目の前の世界との関係と同じである 

大事ななことなので、もう1度…

わたしと もう1人のわたしとの関係は、
自分と 目の前の世界との関係と同じてある



わたしを見続けている もう1人のわたしは、
わたしに 優しい目を向けていますか?

ならば、世界も 優しく微笑んでくれている。

わたしを どう見ているか?が 目の前の世界に
現れてくるだけなのです。

この仕組みを よ~く 落とし込んでください。

わたしの奥の 奥の その奥の方に、きっと
わたしにしか 導き出せない答えが あるはずです。




で、どうする? どうありたい?

もう1人のわたしは、紛れもなく わたしなの。

わたしと もう1人のわたしが 手を結ぶことは
世界と 手を結ぶこと ♡

この感覚 、世界中に 広がれ ♪*゚