外を歩くと、アスファルトから小さなかわいいスミレがぴょこんとあちこち生えていました。


その地面はどうなっているの?

と思うのですが、それにも関わらず生き生きと

花は咲いていました。


一昨年もらった家にあるの植木鉢の花も

鉢がか小さくて劣悪な環境のような気がするけど

それでも今年はたくさん花をつけ、咲こうとしている。


花がこうして咲くように

私もまた、その鉢がどうなっていようと、土がどうなっていようと、綺麗に咲くのかもしれない

そんなふうなことを、ふと思ったんです。




ふとあるとき

自分の固執的な考えを捨ててみたら

相手と繋がれるようになったんです。


固執的な考えを捨ててみると

それは本当に大したことのないことで

私をそこに定着させる何かだった。

この考えを捨ててしまったら私たるものがなくなるのではないか、という恐れがあったのに

捨ててしまったらわたしは自然な川の流れにとけて

大きな川に流れの一部になっていました。


川のまま泳いでいると

全てのことが適当で全てのことをスルー

だけど大きな川の流れでスイスイ気持ちよく

漂っているんです。

大きな岩にも大きな岩ですね!と

スイスイスルー



なあんだ川でいた方が気持ちいいんじゃん

と思っていると

ふと夜が訪れでひとり美しい月の光を眺めているんです。いつのまにか川の流れは落ち着いてきて

わあきれいだなあと一人で楽しんでいると

いつの間にか月に照らされた水面から繋がって

その境がどんどん曖昧になっていく

世界がひとつになっていたのか、いないのか。


わたしはおおきな静けさに包まれていました。

安心感とともに。