こんにちは、舎利子です。


 なんか、チョコットこのブログを覗いてくれている人も居るみたいなので、かなり嬉しくてハイテンション入ってますw


 頑張って更新しちゃいますよ^^


 さて、またゆとり教育がニュースになってるみたいですね。


 受験戦争と言われ、詰め込み教育のまっただ中で中学・高校と育った舎利子としては、かなり感心があるテーマなんですよねぇ


 そもそも、詰め込み教育の弊害が叫ばれて(まあ、ぶっちゃけ受験勉強しかしてこなかった俺らの世代の優等生が、勉強は出来ても実社会で使い物にならない確率が高かったので、さすがにヤバイってことになったんでしょうけど^^;)その反省として出てきたのが、ゆとり教育だったハズですよね?


 確か、授業数が減ったり、円周率が3になったり・・・いやぁ、円周率が3って^^;それじゃあ正三角形と円が同じモノだって教えることになるのに;;


 そもそも、俺らの頃に言われてた弊害って、魚の絵を描かせたら4本足の生えてる魚を描いたりして、勉強は出来てもそれ以外の一般常識に乏しい子があまりにも増えたので、そう言うことをちゃんとしようってことだったハズなんですよ。


 なのに、正三角形と円の外周の長さが同じだって教えるって・・・ もっと一般常識の無い子を増やすだけで、明らかに状況を悪化させてるでしょ。


 詰め込み教育をやめて、時間にゆとりを持たせることによって、その時間を情操教育や一般常識の教育に当てるってのがゆとり教育の理念だったのかもしれませんが、どこの小・中学校生が、ゆとりの時間で好きこのんで勉強なんかしますか!!w みんな遊ぶに決まってるでしょ。


 まあ、そう言う遊びの時間に、みんなで遊んでコミュニケーションや情操の教育に当てるってんならいいんですけど、最近の子って引きこもっちゃう子が多いから^^;


 ゆとり教育の「ゆとり」って、生徒の為のゆとりじゃなくて、教える先生の為のゆとりだってよくマスコミとかでも叩かれてましたよね~~


 けどね、まさに詰め込み教育の洗礼をモロに浴びた舎利子としては、詰め込み教育の問題って、ただひたすら知識を詰め込むことに終始して、考えるってことを時間の無駄だからって排除してたことにあると思うんですよ。


 地元の進学校って言われる高校に通ってた舎利子の実体験なんですけどね、例えばある方程式を学んだときに、なんでその方程式を使えば答えが導かれるのかを知りたいって思うじゃないですか、で、先生に聞きに行くと、「そんなこと考えてる時間が無駄だから、この方程式と使い方だけ覚えて、早く次の方程式を覚えなさい!!」と来たもんだ。


 小学校や中学校の頃でも、「何でだろ?」って素朴な疑問を持ったときに、先生に聞きにいっても、「そんなことどうでもイイから、教科書に載ってることをひたすら覚えなさい!!」ですよ・・・


 いやぁ、そんな面白くもないこと、ずっとマジメにできますかって^^;


 おかげで、勉強そっちのけで、図書館で乱読したりしてましたよ。


 ウチの父親は本の虫かってくらい読書が好きな人なので、舎利子の乱読を歓迎してましたけど、いわゆる教育ママを自任する母親は、学校の先生と同じく「そんなことやってるヒマがあったら、勉強しなさい!!」ときたもんだ。


 ん~~、学校の勉強も勉強ですけど、図書館で本読むのも勉強じゃないんっすか??


 そんなに、目先のテストの点数取ることが重要なんですかね?って思ってたので、学校の勉強より読書と社会勉強(まぁ、ぶっちゃけ遊びw)にのめり込んでいった舎利子は、高校で見事に落ちこぼれることになるんですけどねw


 まあ、何が言いたいかって言うと、学力の低下が叫ばれる今、本当に必要なのは「ゆとり教育」を続けるのか、「詰め込み教育」を続けるのかじゃなくて、「疑問を持ち、考える事を大事にする教育」じゃ無いんですか??って事ですよ。


 学校の先生が、限られた時間の中で、文部省に指定された教科書の内容をちゃんと授業していくのが大変なのは分かります。

 だからイチイチ生徒の疑問に答えたり、間違いの何処が間違ったかを指摘する時間がもったいないのも分かります。

 けどね、失敗をしない人間なんか居ませんよ。

 間違いをしたときに、なんで失敗したのかをちゃんと理解し、どうやったら失敗を取り戻せるか、もしくは次に失敗しないかを考える習慣って、ちゃんと小学校からの教育でやってないと、結局社会に出たときに失敗を乗り越えられない子供が育っちゃいますよ・・・・


 何回もいいますけど、学校は教育機関であって、例え東大出ても、社会で通用しなければ、お金を稼ぐことできませんから。


 受験が大事なのか、学校出てからの人生が大事なのか、よく考えた教育をお願いしますよ。


 よしんば、イイ学校でたら就職するところまでは有利だとしても、結局その後が続かなければ、人生そのものが破綻するんですから。