私は子供の頃から掃除好きで、何かと部屋を掃除している。

掃除すると、気持ちも晴れやかになり、

部屋に漂う空気がピシッとする感じがしますよね。

逆に掃除が滞っていると、なんとなく心もどんよりして、

頭にゴミが溜まったような気持ちになる。

これを風水だというのなら、どこか根拠のないようで、あるような話になります。

 

数年前に「トイレの神様」って曲が流行ったでしょう。

 

♪トイレにはそれそれは綺麗な女神様がいるんやで。

 だから毎日きれいしたら女神様みたいにべっぴんさんみたいになれるんやで。

 

日本には、八百万の神様がいるとされていて、

どんな小さい物にも神様が宿っていると感じ、小さいものを愛でる習慣を持っている。

これがアニメ・キャラクター文化に繋がっていくのだけれど、この話はまた長くなるのでやめておく。

 

話を戻して。

掃除をするから心が洗われるとか、掃除をサボっているから金運が悪くなるとか、

ご縁が来なくなるとか言いますが、これは、脳が勝手に因果関係をつくって安心させている作業でもあります。

いとうせいこうさんがよく言う、「コップが落ちたので割れた」という文章です。

コップが落ちた と コップが割れた は全く別々の出来事なのに、それを理由づけしてくっつけてしまう。

これ置き換えると「掃除したので気持ちがスッキリした」「掃除しなかったので運気が下がった」となるわけです。

この理由づけして、こういう体にしてしまうと、確か安心するのですが、

この思考をずっと繰り返すことで、少し自分を苦しめることになりそうな気がしてるのです。

普段でも、「整体に行ってないので、身体がだるい。」と言ってる人がいる。

この裏を返せば「整体に行くので、体が元気になる」となる。

風水に限らず、誰もがこういった思考を持っているのは確かなのです。

 

そういった類は、霊感や宗教にも繋がっていきます。

ただそれはダメなわけではなく、役に立つものであるということは知っておくべきです。

根拠のないものに頼ること、嘘とわかってて騙されることは、

人間にとって時に必要なときがあるんです。

ただそれも程度だと思うのです。

 

つまり何を言いたいのかというと、

何かに頼ることは大切だけど、頼りすぎない自分を持とう。

そういうわけです。

 

そういう自分を持つためには、シンプルな解決方法だけど、

掃除したい時すればいい。整体に行きたいと思ったから行けばいいんです。

因果関係に左右されずに、今この瞬間を生きればいいんです。

 

今朝、私は頭が痛かった。

それは寝る前にスマホをみていたのが明らかな原因です。

ただ、またそれを理由づけしてしまい、自分が嫌になるよりも、

寝る前の自分は、スマホをみたかった、ただそれだけ。と思うことにしました。

どうですか、少し思考を変えるだけで楽になりませんか。

 

大事なのは、思考の転換と、程度。