※まだまだ勉強不足で完璧ではありませんが、一字一句大切に訳しましたので記事の無断転載はご遠慮ください。<(_ _)>
 
 
 
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彼とのインタビュー約束は用心深かった。 世の中を驚かせた事件を体験してから4ヶ月。
彼は今でも一切の活動をしないでいる状態だ。 どんな媒体ともインタビューをしないのはもちろんだ。
彼に話した。“真の平安インタビューは人の思い通り決定されるのではないと信じる。
神様が許してくださるならばすることになるのだから、(今が)その時でないなら駄目だろう。欲を出すのをやめよう。” 何日が過ぎた後、彼が話した。 “インタビューを受けます。”
2011年10月2日。 2部礼拝が終わった後、カン・デソン聖徒に会った。
 
 

前回インタビューしたのが昨年だったか。 たくさんのことがあった。 この頃どのように過ごすか。
ほとんど教会で過ごしています。 平日にも教会で作業があったり、ヘプシバ(青年1部)役員の仕事がある時は教会に来ます。


教会でこのように多くの時間を過ごすことが本当に久しぶりだ。 どんな感じなのか。
事故を体験した後、本当に大変でした。 ‘僕にもし信じるものがなかったとすれば、本当に悪いことをしたかも知れない。’という気がするほどでした。
最も大変だった3-4日を過ごした後、教会の元老牧師様を訪ねました。 訪ねてもかまわないでしょうかと伝導師様にお尋ねしたところ、来なさいとおっしゃいましたよ。
僕を見ると安心させて下さって慰労して下さいました。 そうして心が本当に楽になりました。 その後では教会だけでした。 心を気楽にしてあげられる所は教会しかなかったです。



‘信じるものがなかったとすれば悪いことをしたかも知れない。’というのは、どういう意味なのか。
芸能人がたくさん自殺する。 その心が理解できました。 これで芸能人が自殺をするようでした。
僕がそうするという考えはありませんでしたが、信じるものがないならば、その道を選んでいたかもしれないと思いました。
それと共に感謝の祈祷をしました。 信頼してくださって感謝すると。
その時はコメント一つ一つに胸をえぐられるような思いでした。
最も大変だったのは‘殺人魔’という言葉でした。 しばらくの間、教会正門の外に出て行くと
人々が僕を‘殺人魔’のように見ているんじゃないか・・・と考えたりしました。



教会の中では大丈夫だったか。
率直に言うとそうですね。 人々が見るには気楽ではいけない状況なのに、教会の中では心が落ち着きました。
宿舎ではとても不安で何も食べることができなかったです。 それで教会にだけいました。
作業がある時ごとに教会に来て仕事をして、仕事をしている間は色々考えなくても良かったんです。



信仰がない人々には‘教会へ行けば気が楽になる。’ということが納得できないこともあるようだ。 なぜそんなに安らかだったのだろうか。
私達の教会聖徒のみなさんならば、なぜそうなのか全部理解できるのではないですか。
僕には他の見方をすれば、家よりも教会がさらに気楽です。
僕が教会に来て生きるようにするという記事を読んで、この頃はキリスト教徒でない人々も
僕が信仰で慰められるということに対して良く見て良い話もしてくれます。


最初の3-4日はどんな心だったか。
どうしても部屋の外に出てくることができませんでした。
申し訳なかったし、その当時の状況を度々思い出しました。
一人で色々考えてみたら一日がすぐ過ぎていきましたね。


何を考えたか。
とにかく僕に誤りがあるのだから、まずその方にとても申し訳なくてたくさん祈りました。
ところが祈ってその瞬間が思い出されると祈祷も良くできませんでした。 祈祷が祈祷ではありませんでした。
そのまま祈祷を始めて‘申し訳ありません。’と・・その後に言葉が出てきませんでした。
20分の間‘申し訳ありません’とだけ繰り返してまた泣いて・・・。

 
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何が申し訳なかったか。
まずその方に申し訳なくて、会社とメンバー達にも申し訳なくて、僕のせいで私達の教会も、あらゆる方法で言及されるだろうという気がしました。
僕が教会を良い方向で知らせることはおろか、僕のために良くない声を聞くことにさせるようで。
とにかく申し訳なかったです。 ご両親にも申し訳なくて、その方のご両親にも申し訳なくて・・・



事故直後、その方の葬儀室に行っただろう。 容易ではないことであるように見えた。
足取りが本当に重かったです。 しかし、その席に行かなければならないと思いました。
どうしても僕が原因になっていて、僕が悲しませてしまったので、当然行かなければならないという考えで行きました。ところで本当に(葬儀室に)入るのが難しかったです。
家族の方々の顔も、その時は見ることもできませんでした。ところが家族の方がかえって僕を慰めて下さったんです。


何とおっしゃったか。
その当時には映像も出されて報道されました。
しかしその後、お互いに話をしながら、このようになったのは仕方ない事だから、これからさらに熱心にして
上手くいって良いことでまた会おうとおっしゃっいましたよ。
その方のご両親が(お身体の)調子が悪いので、イ某様が話をして下さいましたがキリスト教徒だったんです。
僕の車の後ろの席に聖書があったのを見て、祈って許さなければならないと思ったと言いましたよ。



人はそんなことを体験すれば‘なぜ私にこういうことが起こったのだろうか’と考えることになる。
当時はとても考える余裕もなくて、それに対する答えを探すことはできませんでした。
時間が過ぎて、事件がある程度仕上げされながら、ふと思い出したようです。
何よりその期間の間にモリア聖殿を補修して、僕が所属したヘプシバ宣教会のヨシュア聖殿も補修しながら、
僕の信仰をもう一度確認して再整備する時間でした。‘(神様は)僕にこういう時間を与えられるんだな’と考えました。



聖殿補修をしながら何を考えたか。
教会でこのように作業をしてみたのは初めてでした。
聖殿補修をしながら聖殿に本当に愛着が湧きました。 完成した後には、このように良い聖殿で礼拝を差し上げることができるということに、心より感謝することになりました。
実は、聖殿補修工事をすると広告が出た時、私達の聖徒がそのようにみな出てきて仕事をするとは思わなかったです。専門家達と関係者達が来られてするだろうと思いました。
ところで牧師様、勧士様、年配の方がみな出てきて汗を流されるから、若い私達が休むことはできませんでしたよ。1ヶ月半程度のその期間が、僕にはとても良い時間でした。
作業している時は、事故の考えが思い浮かばなかったです。
違うところで仕事をして汗を流すのと、聖殿補修しながら汗流すのはやりがいも考えも確かに違いました。
‘このように汗を流せば嬉しく見てくださるだろう。 すべてのことを思い通りになるように導いてくださるだろう。’という考えに、その一日一日が慰労の時間でした。



(聖殿補修など)したことがないのに大変ではなかったか。
事実、私達が難しいことをしたのではありません。 片づけを手伝っただけですから。
ご飯もおいしく食べたし、ヘプシバ友人達と皆一緒に笑いながら仕事をするから面白かったです。
ある一日は、埃をたくさん食べたからと、教会食堂でサムギョプサルを焼いて下さいましたが、それが一番おいしかったです。



派手に注目を浴びて今は人々の目に触れないまま数ヶ月が過ぎた。 苦しくはないか。
もちろん歌は歌いたいですが、まだ以前のように明るく笑いながら活動をして、そのような姿を人々に見せる自信はありません。
(だからといって)苦しくはないです。 今のところは教会が一番良いです。
家→教会、また、教会→家の連続ですがそれが良いです。



この頃どんな心なのか。
時間が少しずつ過ぎるほど心がますます安定を探します。
僕に任せられた場所があり、僕がしなければならないことがあるから、これからは徐々に準備をしていかなければならないと考えるようになりました。



‘僕がするべきこと’に対しても以前と考えが変わらなかったか。
僕の信念をもう一度振り返ってみて、夢をもっと確固たるものにさせてくれた時間でした。
僕に声で称賛して歌うことができる場所をくれたので、それを通じて大きな栄光を向けてみたいです。
そして(僕の)職業の特性上、よく知らない人々にも宣教できる長所があるので、それを最大限に活用したいと思います。



難しい時間を体験したからか、私達の教会聖徒とは違って見えたが。
聖徒様が僕を見つめる感じが変わったようです。 以前が明るい笑顔と嬉しさだったら、今はその明るい笑顔の中に何か切ない感じ・・・。僕を理解して包み込んでくださる感じです。
たくさん祈ったとおっしゃって。 僕一人だけ感じるのか分かりませんが、目つきがさらに暖かくなったようです。


本当に多くの聖徒が祈られただろう。 目に見えない無形エネルギーなのでその力を見過ごしやすいが、祈祷は途方もないエネルギーだ。
エネルギー保存の法則もあるのにその祈りがどこへ行くか。 その祈りが積もって大聲(テソン)に大きい力になった。
聖徒達が僕のために祈って下さるから、僕がこのように教会を気楽に感じるんだなあと思う気がしました。
僕一人がいくら教会を気楽だと考えても、聖徒達の祈りがなかったとすれば、僕が教会をこのように気楽に感じられなかったでしょう。他の休む所を訪ねて行ったかもしれません。
ところで会う方々ごとに僕のために熱く祈祷して下さる目つきを感じてみたら、教会にいればどこでも気楽でした。 祈りの力ではないかといえます。



信仰がない人々は‘神様が実際におられるのではなく、そのまま一人で神様を探して心を慰めるのではないか。’と考えるようだ。
神様が本当におられて助けて答えをくれるというのを感じたか。
本当にたくさん感じました。 目に見える検察の決定だけ見ても、神様が僕を助けられたということを確信するほかはなかったです。
最終的に一般市民らで構成された検察市民委員会で起訴可否を決める時は、‘どのような結論が下されても、それが人々の今の考えだろう’とそのまま受け入れようと決心しました。
ところが良い結果が出ました。 神様がすべての方々の心を動かして下さったんだなという気がしましたね。



事故後、元老牧師様に会って慰労と勧勉を聞いたといったがその後も訪ねたか。 
しばしばお目にかかっています。 大小様々な事がある度に常にお伺いして、相談させていただくことになりました。事故以後で一番大きい変化の一つが、すべての計画と日程を神様にお尋ねして決めるということです。
実はその事故があった翌日が、メンバー達と海外旅行へ行くことにした日でした。ビッグバン活動を始めてから初めて持つ休暇だったんです。
後になって考えてみると、神様には祈祷も相談もしたことがなかったです。 いや、その旅行だけでなくすべてのことに対してそうだったということに気づきましたよ。
それが僕の誤りだったというのを悟りました。 3年前から伝導師様が、僕を見かける度に聖書勉強をしようといわれていました。
もちろん忙しかったけれど、時間は作ろうと思えば作ることができました。 しかし僕が避けたんです。
母胎信仰で教会にずっと通っていましたが、聖書勉強をまたしようとすると頭がとても痛かったです。
今回こういう時間を過ごしながら聖書勉強をまたしました。 僕がその間、どれくらい中途半端に聖書を理解していたか、信仰が浅かったかを痛感しましたよ。

 

 
テソン教会インタビュー後編 ⇒  http://blogs.yahoo.co.jp/cube7450/35767348.html