おはようございます!
AYAMIですニコニコ



今日も日常の気付き・感じたことをアウトプットしていきますグッ





自分が
このままではだめじゃないか
しんどい、何か変わりたいと思ったとき




どうしたらいいのか
気持ちだけが動いて、身体・思考が動かない状態になっていた時




一番初めに
ベストセラーにもなっている本 『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』を読んだ





今まで私読書が苦手で
全然読めなかったけど
耳で聞く読書に変換するとスラーっと入ってきたおねがい




その本の考えが自分の中では欠けていたというか
なんとなくわかっていたけど、言葉にできない、雰囲気でしか分からない
だから後回しにしていたり、見ないふりをしていたり、全然気づいていないこともあった





読んでみて納得できることがあったり
すぐに理解できなくて、何度も読み返したりすることもあったけど
「これはちゃうやろ!」って思わずに
スッと入ってくる感じがあった




自分の何に注意していくべきなのか
どんな考えで思考や行動すればいいのか
その基礎をいただいた気がしますおねがい


そして、その著者である岸見一郎さんのインタビュー記事をみた目


そこにアドラー心理学についての説明がわかりやすく書いてあった



そこには
「原因」ではなく「目的」を考える
と書いてあった




何事も原因である「なんで起こったんだろう」と考えてしまう
そう考えてしまうと
誰かや自分のせいにしたりして
起こったことに対してネガティブに感じがちになる




私は昔から何かを誰かに伝えようとするときに躊躇してしまうことがある
それは多分、何かを言った時に
その後の空気とか表情が悪くなったことがあるから
そしてそれを想像することができてしまうから




そうなると
「なんでそんなこと言ってしまったんだろう」とか
「言わなかった方が良かっただろうな…」とか
考えてしまう



そしてその後反対に言わなくなってしまった時も
「なんであの時言わなかったんだろう」とか
「言ったらええ感じになってたやろうな…」とか
考えてしまう

完全に“たられば”だ!



起きてしまたことは変わることがないのに
〜しとけばよかった
〜しやんかったらよかった

と、ありもしないことを言ってモヤモヤしている




そして
「なんでこんなことしてしまうんや」
「いつもこうや…自分あかん奴や…」と自己否定に入る



あかんループに入ってしまうショボーン




この現象に対しての「原因」を考えてしまうと
どうしても私の場合
モヤモヤとネガティブと自己否定が入ってくる



それがいつもの私のパターンと気づいた




そこにこの本を読んで
「目的」を見ることにしてみた




私の目的は
「相手にとって必要だと思う情報を伝えるということ」ということ
“それだけ”




その情報が必要かどうかを判断するのは、その人自身。そこは自分には関係ない
そう思うと伝えることに対して怖さは無くなった




そしてその後の反応も
モヤモヤ感を生み出すものではなく

「その反応だったら、今度はこれを伝えようか?」とか
「それだったら、伝え方を変えてみようか?」とか
「これはいらなさそうだな」とか
次の行動につながる反応として見ることができた照れ




「目的」に着目することで
見え方が変わった



この世界に存在するものは「目的」がある




今目の前にあるマグカップも存在に「目的」がある
飲み物を飲むためのもの
液体を留めておくもの などなど




私たち人間にも存在している目的があり
それは一人一人違う




でも大きな目的というのは
みんな「幸福でありたい」ということ



それは他人の幸せを願っている人もそう
結局は他人の幸せが自分の幸せあったりする




そうなるためにも
自分の興味のあること
自分の好きなこと、嫌いなことなどをわかっておく必要があるんだと改めて実感電球




「原因ではなく目的を見る」ということは
自分が幸せにあるための考え方であり
これもまた、目的に対する一つの手段であるんだろうな照れ