おはようございます!
AYAMIですニコニコ


だんだんと自分観察をしていて
気づくことが増えてきました


自分に対しても
他者に対しても


以前も書いてみたけど
視野についてのことをアウトプットしてみます上差し




人間の目というものは厄介である


同じものを見ているはずなのに
1人には見えていて
もう1人には見えていない


見えているはずなのに
見えていない


そんなことが多々ある


視力の問題ではない


どこに注目しているか
気づいているかである


 ​見えているはずなのに見えていない





心理学の用語に【カラーバス効果】という言葉がある


【カラーバス効果】
特定のことを意識し始めると、日常の中でその特定のことに関する情報が自然と目に留まるようになる現象のこと。
人間は、視覚や聴覚などの五感から得られる情報を、無意識のうちに自分に必要のあるものかどうかを取捨選択している。


例えば
最近友達と「赤い車」について話したとする
「そんなに赤い車って走ってるかな?」って思っていたら
それ以降
「結構赤い車乗ってる人いるんだ」と気づく


今まで気にしていなかっただけで
見えていたはずなのに
見えていなかったんだと…


そんなことがよくある
意識することで見えてくる


スコトーマが外れるということだ


そう改めて感じた照れ



 ​見えていないはずなのに見えている




逆もあり得る


見えていないはずなのに
見えていることがある


それは昔から私自身が感じてきた“空気”とういうものだろうと思っていた


今この人は機嫌が悪いなーとか
今この人こんなこと思っているなーとか
この人とこの人はあまり仲良くないなーとか


その場でははっきり見えているわけではないことが見えることがある


その場の空気という見えないものによって
私はその場で感じとっているのかと思っていた


なんとなく…


そうとしか答えられなかった


でも観察を続けていくと
それも結局見えているのだとわかった


みるという情報だけではないが
その人のいつもと違う表情
その人の声色・声の大きさ
態度や動き
言葉の使い方


そういう観察力があるからこそ
見えてくることがあるのだと気づいた


“空気”
それ自体本当はないのかもしれない


そういう些細な変化に気づけるか気付けないか
それだけの違い


全てに対して気づく・察知する必要はないだろう
情報が多すぎて処理できなくなる


何を察知するかというか
何を察知したいか


自分で選択できる
そう最近気づいた照れ