そして、週に一回のお風呂
それからいつの日か、看護師さんが利用者さんのコロナが移ったと。
お世話をしてもらった母だけPCR検査。
玄関前で防護服を着て。
もし陽性なら、私も姉も検査しなければならなかった。結果は翌日だったでしょうか。陰性でした。良かった〜怖かった〜1秒でも早く結果が知りたかった。
看護師さんが何度も何度も謝って。こればっかりは誰の責任でも無い。
その後、施設は11日くらいかな、閉鎖になりました。また別の所から来てもらう事に。そこの看護師さん達も、今の事業所と同じく、凄く良い所でした。
喋れなくても、右手で👌が出来ました
でも、段々出来なって行きました。
点滴の針も入らなくなって行きました。
そして昨年の7月26日、午後10時過頃かに母は天国へ。。
姉と兄と私と3人で、母の手を取り何度も何度も呼び戻しては息を吹き返し最後はすーっと逝来ました。
夜中にも関わらず、看護師さんと先生が来て下さった。
従姉妹も来てくれた。心強かった。
後悔ばかりです。
辛どくて辛どくて。発狂した日もありました。怒鳴るし、でも母はいつも笑ってた
なんでもっと優しく出来なかったんだろう。
兄も「もっと優しいしたったら良かった」とびっくりするくらい泣いてた。
先の見えない介護。
皆んな80歳なら80歳までと決まってたら良いのに。
お通夜、お葬式も無事なら終わりました。
毎年友達とクリスマスをしていました。母へのプレゼント🎁いつも嬉しそうでしたコロナで2年、クリスマスが出来ず、母にも会えなかった友達。私がドン引くほど泣いて泣いて
ありがとうね
お葬式にも来てくれた。自分のお母さんも一ヶ月前に亡くしたばかりなのに。
糖尿病だった母に、棺桶に入れてあげてとお饅頭を買って来てくれた。
きっと美味しい美味しいと、パクパク食べたと思う
四十九日も終わり、なんだか何もする気が無くなってしまった。
後悔ばかりで自分を責め続ける毎日。
昼間寝て夜は寝れない生活。
母が亡くなった日、兄が帰って来ると言った。体調が悪いからと。
そして、今年の2月の末に帰って来た。
次へ。