今日不思議な事があった。

暇を持て余していたので、サイクリングする事にした。なんだかいつもと違う場所に行ってみたくて、車でしかいったことのないとある公園を目指してみる。

もうすぐ目的の公園に着きそうになった時、道路沿いに鳥居のような神社の入り口のようなものが見えたので思わず足を止めた。そこに鳥居がある事を意識したのは初めてだが、不思議と懐かしい感じがして入ってみたくなった。

鳥居には、平和の塔と書いてあり、奥にはその町の戦没者の名前と、平和を願う文書が彫られた慰霊碑があった。

その帰り道、僕はその意味をずっと考えていた。普段通らない道で鳥居を見かけ、なぜかそこに入ってみたくなった意味を。

なぜなら、今日は祖母の命日だからだ。

世界平和に貢献せよと言う祖母からの願いか、それとも、心の平穏を取り戻せと言うのか、、、

「世界平和」と言う言葉はなんともスケールが大きすぎて何をしたらいいかわからないな、、、

その時、ハッと思い出した‼️僕がその言葉に魅了されたのは、ちょうど医師を目指した時期と重なる。

僕は高校3年生で医師になりたいと思うようになる前に、世界平和に貢献したいと本気で思っていた。そして、どのように貢献しようか考えた時、僕は医師として貢献しようと思った。建築や教育、はたまた寄付など様々なやり方がある中で僕は教育か医療で迷っていた。そして、その決め手は、「教育は難し過ぎる、僕がまず簡単なほうの医療者として貢献しよう、そして命や健康と言う大前提を担保した上であとは優秀な教育者達に任せよう」そう考えて医師を選んだ事を思い出した。

今思えばかなり安易な考えだが、僕はそういう動機で医学の道に志を立てた。そして、事実その動機は、当時の僕の行動を規定し始めた。

「世界平和に貢献するつもりならば、まずは自分の身の回りにいる人達とも平和的に過ごせないといけない」

「世界平和に貢献するつもりならば、人々の苦しみを見つめ、理解に努めないといけない」

「世界平和に医療者として貢献するつもりならば、まずは誰よりも卓越した医療を身につけないといけない」

そういう風に僕の人生の指針が決まっていったのを思い出した。

そして、まず僕はこの事を記録に残さないといけないと思った。こういう風に志を立てたと言う記録だ。

これは、沈黙の映画の中で神父達が日本のキリシタンを救おうと夢見た後、その指針を記録したのと同じだ。僕にとっては今後数十年の指針となると思う。そしてその結果、僕は本当に世界平和に貢献することができるのか、最後までこの記録を持ちながら、見定めないといけない。

意図せずして、僕は祖母の命日に偶然見かけた慰霊碑によって、その指針をはっきり思い出す事ができた。

本当に不思議な事だ、そして感謝すべき事だと思う。
おばあちゃん、ありがとう。