和解成立後② DADDY からの続き

 

僕はユリに厳重に抗議しました。



何のために僕があれだけの思いをして和解金を用意し、離婚後のユリたちの家や生活費を工面し、月にたった2回の面会交流で監護権をユリに渡してまで、親権にこだわったか。



絶対にカイトに、僕が父親なんだとわかって成長していってもらいたかったから。


ずっと親子としての絆を保っていきたかったから。


それだけだった。

 

 

それなのに、ユリはカイトの記憶から、父親としての僕を消そうとしている――。


これは僕が一番恐れていたことでした。

 

 

きちんと話し合いができて、約束事をお互いに守れる夫婦なら、離婚なんてしていない。


つまり、離婚したという時点で、それまで以上に話し合いができる希望なんかなく、約束も守られないだろうということは、重々肝に銘じていなければいけないことだったのかもしれない。


それでも僕はまだ、僕ができる限りのことを誠実に示したなら、男と女としては終わっていたとしても、カイトの母親として、父親である僕に対し、ユリも少しは約束を守ってくれるだろう、とどこかで思っていた。



僕が育ったアメリカでの「離婚の常識」というものも、僕の勝手な思い込みを助長した原因の1つでした。


アメリカでこうなんだから、先進国たる日本でも当然こうだろう、と、思い込んでいた要素というのがかなり大きかった。


アメリカでこんなことをしたら許されないから、きっと日本でも許されないだろう、と。



でも実際は違った。

 

むしろ、日本って何をしてもいいんだなという印象しか今のところありません。


とんでもないことでも、一回やっちゃったらそのままで現状維持、というのが基本なんだな、と。



だから



母親は子供を連れ去る→現状維持

父親は養育費を払わない→現状維持

子供は親のトラブルに振り回されても何も言えない→現状維持



で、まともに約束や法律を守っている方がみんな困っている。→それすら現状維持



現状維持しかしないなら、裁判ってやる必要ないんじゃないですか?

現状で困っていて、どうしようもないから、お金も時間も労力もかけて裁判するんでしょう。

それを司法がオフィシャルに「現状維持OK。やっちゃったんだからしょうがない」って、約束も法律も守らない方のとんでもない行為を認めるのは、おかしいじゃないですか?



とにかく僕は、僕が父親じゃないんだとカイトに教え込むことだけはユリにやめさせたかった。



その他すべての問題やストレスより何より、カイトを失うことが怖かった――。

 

 

 

 

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続く