なぜこうなった・・・?ブタ
長い歴史を持つ音楽界には、どう見ても「やっちまっちゃったんでないだろうか?」と思われるアーティストや曲が散見される・・・
そんな笑えるお気の毒なアーティストを取り上げるコーナー
「They are やっちまった人たち・・・」


本日取り上げるのは、アラン・プライスの「The house of rising sun」である音譜



アラン・プライスは、イングランド出身のシンガーソングライターでミュージシャンである。

幼少時からピアノを習っていたのだが、13歳の頃からギターを始めてベーシストになり、
エリック・バードンとともにバンド、ザ・パガンスを結成した。
1958年、16歳の時にはチャス・チャンドラーとともにアラン・プライス・コンボを結成し・・・
このバンドが1963年、バンド名をジ・アニマルズとして本格デビューをすることになるのだった晴れ

1964年にリリースしたシングル「The house of the rising sun」(邦題:朝日のあたる家)が全米・全英チャート1位の大ヒットを記録して全米ツアーも行われる。
”世界最初のフォーク・ロック”とも言われるこの曲は、もともとアメリカの伝統的なフォーク・ソングで、ボブ・ディランなどがレコーディングしていた。
そこにポピュラーなアレンジを加え、歌詞の主人公を女性から男性に置き換えたジ・アニマルズ・バージョンは大いに聴衆に受け入れられたのだったドキドキ
アラン・プライスは、ジ・アニマルズの初代キーボーディストとして、
「The house of the rising sun」ではVOXオルガンを使用して演奏し、
またこの曲のアレンジャーとしてクレジットされて世界的な評価を得るのだった。

ジ・アニマルズは「Don't let me be misunderstood」など順調にヒットを飛ばしていくが・・・
1965年にアランさんはジ・アニマルズを脱退クマ
翌年には、アラン・プライス・セットを結成し、シングル「I put a spell on you」が全英チャート9位とヒットする。
しかしバンドは1968年に解散し、アランさんはソロ活動に力をいれたのだった。

ソロになった直後はヒット曲も生んでいたのだが、しだいに彼の想像していたような大活躍とはいかなくなり・・・ブタ
1980年にリリースされた強烈なジャケのアルバムが「Rising sun」なのであるわんわん

やはりこの時代の日本人のイメージってこんな感じだったのだろうか?
グラマー芸者の日焼けサロン通い?クマ
しかし、日焼けしたいわりには顔は白塗り(しかもサングラス)だし・・・
なんだか欧米諸国からみた間違った日本像を象徴するような、
まずもってジャケだけとっても”やっちまった感”溢れる、
アヤしさ満点のなんじゃコリャ?ジャケなのである!ブタ

今や「Rising sun」というと「ラ~イジ~ンサ~ン」というエグザイルの曲が思い浮かぶ現代日本であるが・・・
熱心な洋楽ファンに関しては、「Rising sun」といえばサングラス芸者の日焼けサロンであろう(←そんなことないない)クマ

そして、このアルバムに収録されたアランさんの勝負曲が・・・ジ・アニマルズの「The house of rising sun」のカバー曲だったのであるえっ
大ヒット曲の2匹目のドジョウを狙ったのであろうか?
アルバム・タイトルも「Rising sun」・・・って、もちろん「The house of the rising sun」を連想させる仕掛けをし、
1980年にシングルとしてリリースされたのだが・・・チャートインせずに微妙な結果に終わってしまったのであるガーン



往年の名曲を、グループを抜けた後にメイン・アレンジャーだったアランさんがソロでカバーするとは・・・

う~ん、原曲の良さを引き出している・・・とは言い難いかなぁ~?ガーン
キャッチーなアレンジにしようとしたのか?
この曲の持つ一種独特で迫力のあった情念というものが軽くなっている・・・ように感じられるにひひ

ともかく!微妙すぎるジャケとともに10数年の年月を経て蘇った名曲は・・・
また微妙な印象をリスナーに与えることになってしまったのであるクマ

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