CDになっていなかったレコードの
栄えあるCD化を祝して
みんなで青空にワッショイ!するコーナー(の女性アーティスト編)
「CD化!ワッショイ・ヨシ子さ~ん」
今回取り上げるのは、
リンダ・ティレリーの「Linda Tillery」である
ティレリ~・・・鼻から牛乳~♪
な~んて思わず嘉門達夫の名曲を口ずさんでしまいそうな名前のリンダ・ティレリーさんだが、
決して鼻から牛乳は出さない(←全く不必要な情報)
リンダ・ティレリーは、サンフランシスコ出身のソウル系シンガーソングライターでドラマー、プロデューサーである。
パフォーマンスばかりでなく、自身のアルバムのプロデュースも手掛けたりと、
女性アーティストのパイオニアとして知られる人物である
1948年に生まれた彼女は、両親が音楽に関わっていた人達だったわけではなかったが・・・
幼少期からカウント・ベイシーやサラ・ボーンなどジャズ~ブルース系の音楽を聴いて育ったようだ。
ハイスクールに通うようになると、ベースやドラムをマスターし、独学で歌うようになっていく。
サンフランシスコの大学に通って両親は彼女にビジネスの世界へ進んでもらいたかったようだが・・・
彼女は音楽の道に進むことを決断。
大学を中退してプロ・シンガーを目指すようになったのだった
すると1967年19歳の時に、ベイエリアのロックバンド、ザ・ローディング・ゾーンのオーディションに合格し、
リード・シンガーとして加入して歌い始める
ここでアルバムを2枚リリースし、ヴァニラ・ファッジやジェフ・ベック・グループのオープニング・アクトをつとめるなど人気を博すのだった!
このバンドは1971年に解散してしまうのだが・・・リンダさんはバンド活動と並行してスウィート・リンダ・ディバインのアーティスト名で
ソロとしても活動をはじめ、CBSソニーと契約。
1970年にはアル・クーパーのプロデュースでアルバム「Sweet Linda divine」でデビューも果たしたのだった
同時に1970年代を通じてセッション・アーティストやバック・コーラスとして
ボズ・スキャッグスやサンタナなど多くのアーティストのレコーディングに参加。
ジャズ・フュージョン・バンドのシーザー830に参加するなど活動の場を広げたのだった
1975年頃になると、ウーマン・リブやウーマン・ミュージックのムーブメントが盛り上がり、
その背景から女性のみで設立されたOlivia Recordsが設立されたりした
そのレーベルに参加し、リンダさんが1977年にリリースしたアルバムが「Linda Tillery」であった!
これまたジャズ・フィーリングを背景に、リンダさんのファンキーなボーカルがさく裂する
レア・グルーヴの名盤ともいうべき内容の1枚だった
特に「Freedom time」は、レア・グルーヴの名曲とされるアツい1曲である。
まるでデニース・ウィリアムスの「Free」のような静かなるイントロから・・・
唐突にはじまるファンキーな調べ
心と体が踊る魂の1曲なのである
さて、リンダさんはこの後はソロとしてのアルバムリリースよりも、プロのバック・ボーカリストとして長年活躍することになり、
ボビー・マクファーリン、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースなど大物アーティストのサポートをしたのである。
そして、この1枚も2013年についにCD化された!
ワッショイ!
実力あるウーマンズ・パワーを感じられる1枚、ぜひ心にとどめておきたいのである
栄えあるCD化を祝して
みんなで青空にワッショイ!するコーナー(の女性アーティスト編)
「CD化!ワッショイ・ヨシ子さ~ん」
今回取り上げるのは、
リンダ・ティレリーの「Linda Tillery」である
ティレリ~・・・鼻から牛乳~♪
な~んて思わず嘉門達夫の名曲を口ずさんでしまいそうな名前のリンダ・ティレリーさんだが、
決して鼻から牛乳は出さない(←全く不必要な情報)
リンダ・ティレリーは、サンフランシスコ出身のソウル系シンガーソングライターでドラマー、プロデューサーである。
パフォーマンスばかりでなく、自身のアルバムのプロデュースも手掛けたりと、
女性アーティストのパイオニアとして知られる人物である
1948年に生まれた彼女は、両親が音楽に関わっていた人達だったわけではなかったが・・・
幼少期からカウント・ベイシーやサラ・ボーンなどジャズ~ブルース系の音楽を聴いて育ったようだ。
ハイスクールに通うようになると、ベースやドラムをマスターし、独学で歌うようになっていく。
サンフランシスコの大学に通って両親は彼女にビジネスの世界へ進んでもらいたかったようだが・・・
彼女は音楽の道に進むことを決断。
大学を中退してプロ・シンガーを目指すようになったのだった
すると1967年19歳の時に、ベイエリアのロックバンド、ザ・ローディング・ゾーンのオーディションに合格し、
リード・シンガーとして加入して歌い始める
ここでアルバムを2枚リリースし、ヴァニラ・ファッジやジェフ・ベック・グループのオープニング・アクトをつとめるなど人気を博すのだった!
このバンドは1971年に解散してしまうのだが・・・リンダさんはバンド活動と並行してスウィート・リンダ・ディバインのアーティスト名で
ソロとしても活動をはじめ、CBSソニーと契約。
1970年にはアル・クーパーのプロデュースでアルバム「Sweet Linda divine」でデビューも果たしたのだった
同時に1970年代を通じてセッション・アーティストやバック・コーラスとして
ボズ・スキャッグスやサンタナなど多くのアーティストのレコーディングに参加。
ジャズ・フュージョン・バンドのシーザー830に参加するなど活動の場を広げたのだった
1975年頃になると、ウーマン・リブやウーマン・ミュージックのムーブメントが盛り上がり、
その背景から女性のみで設立されたOlivia Recordsが設立されたりした
そのレーベルに参加し、リンダさんが1977年にリリースしたアルバムが「Linda Tillery」であった!
これまたジャズ・フィーリングを背景に、リンダさんのファンキーなボーカルがさく裂する
レア・グルーヴの名盤ともいうべき内容の1枚だった
特に「Freedom time」は、レア・グルーヴの名曲とされるアツい1曲である。
まるでデニース・ウィリアムスの「Free」のような静かなるイントロから・・・
唐突にはじまるファンキーな調べ
心と体が踊る魂の1曲なのである
さて、リンダさんはこの後はソロとしてのアルバムリリースよりも、プロのバック・ボーカリストとして長年活躍することになり、
ボビー・マクファーリン、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースなど大物アーティストのサポートをしたのである。
そして、この1枚も2013年についにCD化された!
ワッショイ!
実力あるウーマンズ・パワーを感じられる1枚、ぜひ心にとどめておきたいのである