息子ちんのファッションへの無頓着ぶりにも困ったものであるブタ

花の大学生というのに、ほぼ自分で服を買うこともなく、
たまにお母様が買ってきてくれた服にチェンジするくらいであるにひひ

友達と服屋に行く・・・とか、もしかしてそんな発想自体がないのかもしれないクマ

そんなことでは彼女もできないよ?わんわん

ああ、いつか息子ちんのクローゼットがオシャレな洋服でいっぱいになるように・・・
ジェイ・P・モーガンの「Closet Man」を聴こう音譜



ジェイ・P・モーガンは、コロラド州出身のシンガーで女優、テレビ番組出演者である。

1931年生まれの彼女が高校生の時に一家でカリフォルニア州に移住。
後の芸名「ジェイ・P」は、ハイスクールに在学中、クラスの会計係だったことから、
銀行家のジョン・ピアポント・モーガンにちなんでつけられたあだ名だというにひひ

彼女の3人の兄弟もシンガーになったことからもともと歌い手としての才能がある一家だったのであろう。
1950年、ハイスクールを卒業してダービー・レコードでレコーデイングの機会を得ると、
1953年に「Just A Gigolo」でデビュー!
全米チャート22位のヒットとなり、次いで「Life Is Just a Bowl of Cherries」も全米チャート26位のヒットを記録するラブラブ
次にRCAビクターと契約を結ぶと、「That's All I Want from You」が全米チャート3位となるなどヒットを連発する。

1956年には、自身のテレビ冠番組「ジェイ・P・モーガン・ショー」をスタートさせて、他のバラエティ番組にも出演。
女優業にも精を出し、1960年代~70年代を通して、多くのテレビドラマや映画に出演したのだった。

そんな彼女がAOR界で大きく取り上げられるのは・・・
1976年のアルバム「Jaye P. Morgan」が存在するからであるぶちゅー

このアルバム、なんとデビッド・フォスターが初めてフル・プロデュースを手掛けたという記念すべき1枚だったのであるキスマーク

このアルバム、当時新興のレーベルCandor Recordsで制作されたのだが・・・
アルバム録音が完了し試作品もでき上がった状態で、これからいよいよ本制作!となったところでレコード会社があえなく倒産えーん
そのまま倉庫の中で試作品のレコード数十枚が埋もれてしまい、誰にも気付かれないまま20年近くが過ぎ去った・・・
という曰くつきの作品なのであるブタ

だが、1994年に日本で発掘された後、その内容の素晴らしさが人づてに広まって、
なんと2000年になってからようやくCD化された、という劇的な運命をたどったのであった晴れ
それまでは、フォスター自身も音源が紛失したと思い込んでいた、まさに“幻の1枚”なのであったクマ
もちろん、オリジナル盤は中古市場で超高額で取引されたという・・・

そんな奇跡が起こったこのアルバム・・・内容は本当に名作であるドキドキ
デビッド・フォスターとジェイ・グレイドンのエアプレイコンビはもちろん、
当時のLAの腕利きスタジオ・ミュージシャンが集結して制作されている。

本来、ジェイ・P・モーガンはシンガーとしては1950年代から活躍したポップスやジャズ系であり、1970年代のこの頃はほとんどシンガーとしての活動をしていなかったようだ。
そんな彼女が後にAORのムーブメントとなっていく面子と毛並みの違うアルバムを制作していたとは・・・ まさに驚きの連続なのであるえっ

名曲揃いの中、「Closet Man」はフォスターが曲を書いたメロウでゆったりとしたボサノバ調が心地よい1曲である。
後にダスティ・スプリングスフィールドがカバーしてヒットさせたことでも有名であるキスマーク



むふぉー!気持ちいい!
この浮揚感はなんだ!?ドキドキ
決して歌がうまいとはいえないジェイ・P・モーガンさんだが・・・そのヘタウマ感がなんともいえない味を醸し出しているにひひ

まさにデビッド・フォスターのアレンジ、プロデュースの腕が冴える素晴らしい1曲だ!ぶちゅー

さて、そんなわけでこの曲の「Closet Man」は違う意味で使用されているのだが・・・クマ
息子ちんにはいつか「オシャレでクローゼットが充実している男」になってもらいたいものだにひひ

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