「そうかがっかり・・・」について | H-MANオフィシャルブログ「H-MANのナカナカナイブログ」Powered by Ameba

「そうかがっかり・・・」について

ハイハイ、、、やります、書きます、更新いたします、スミマセン。え?ハイは1回で良い?ハイ。

前回、予告したように例お話をしようかと思います。あの曲、「そうかがっかり・・・」(諸法無我に収録)についてです。

少し前に、あの曲はどういうつもりで作ったのか?というコメントも頂きました。自分の曲を自分で解説なんていうのもあまり乗り気はしませんけど、せっかくの機会なんで自分でももう一度リリックを確認してみました。まず感じたのは、まぁ、受けないよね、盛り上がんないですよねこの曲は、しかも売れ線でもない。でも、自分で言うのもなんですが良く書けてる、出来ていると思います。感情的にもなってないしね。自画自賛してもしょうがないですけど。誰か他のDJがこの曲を書いていたら非常の悔しいと思います。

前回のコメントで、あの曲は八正道の正語に反しているというご指摘を有りましたが。間違った信仰を間違いだというのは間違いでしょうか?曲に対する受け取り方は千差万別だと思います。私の周りでも賛否両論ありましたし、褒めてくれた人でもこっそりしたものです。

私のブログはコメントも含めて展開して行こうと考えていますので、昔の記事に対するコメントも最新のところに書いてくださるとありがたいです。読者の方々も是非コメントにも眼を通してみてください。さて、これが学会員と思われる方からのコメントです。



レゲエから消えろ

H-MANそんなに、創価学会が嫌いなら、信心してから批判したら?何も知らん奴がどうこう言うなよな!おまけに歌になっとるし…訴えられればいいのに!REGGAEは好きじゃけど、REGGAE歌手の中でお前が一番嫌い!!!さっさと訴えられて消えろ!

H-MAN消えろ



今までにも何回か学会がらみのコメントは頂きましたが、大体が私の勉強不足を指摘しています。しかしこのコメント見ればわかると思いますが、あまりに知性とか品とかないですよねェ、、、て言うかこれが創価学会という団体を良くあらわしていると思います。皆さん聖教新聞って読んでみた事あります?機会があったら読んでみてください。このコメントと同じようなことが沢山書いてありますよ。罵詈雑言の嵐。胸糞悪くなりますよ、ホントに。まともな神経じゃ読めません。「訴えてやる!!!」ダチョウ倶楽部じゃないんだから。大体、人間の行動を取り締まっているのが法律や司法なんですから、心の問題、教義を扱う宗教を裁判で、なんてあまりに宗教ということが分かっていないし。正しいし宗教とは思えません。

それから、創価学会の事は別に嫌いじゃないですよ、好きでもないですけど。ただ間違っているモノは間違っていし、この人のような学会員を作り出すのですから問題ではあるでしょう。「そうかがっかり・・・」は創価学会だけのことを歌っているわけでは有りません。今ある他力信仰を批判した曲です。まぁ、その代表的な団体として創価学会とあるだけです。規模も大きいですし。ですから「そうかがっかり・・・」を聞いた人がどのように受け取ったかは知りませんが、創価学会が好きとか嫌いという事で、そのような次元で作ってはいないんですよ、私は。ホントに創価学会を貶す、貶めるように作るなら、このコメントより、聖教新聞よりひどい言葉で書く事が出来ると思いますよ。自慢じゃないですが得意なくらいです。でも正語ではなくなりますよね、それをやっちゃ。

では、創価学会の良いところ、功績は何かないのか?創価学会はそんなに悪いのか?

このことについて、高橋信次先生の弟子である園頭広周先生が面白い事を言っています。

①戦後、創価学会員になった階層(社会的な、労働者階級のこと)は、もし創価学会が無ければ共産党か社会党の党員になっていた人たちである。現在、創価学会の会員になっているだけの人数が共産党、社会党に入党していれば、日本に共産主義、社会主義革命が実現していたかもしれない。創価学会の出現は、日本に共産、社会革命を起こさない為の安全弁になっていたのである。

②現在、学会員になっている人たちは、そのままであれば無神論、無霊魂論のままで一生を送りかねなかった階層(霊の段階ということ)である。しかしそれが、創価学会に出会うことによって無神論、無霊魂論の側から、有神論、有霊魂論の側に大転換させる事が出来た。

この二つは創価学会の大功績である。

いかがでしょうか?素晴らしいですね、でもそれ以上ではありません。

さて、先程も書きましたが、勉強が足りないといわれた私なので創価学会の方に二、三質問させてもらいたいと思います。(と言っても、俺のブログなんてみてね~か?)

①他力信仰と、自力信仰の違いについて。

②題目を唱えた場合と念仏を唱えた場合、どのように救われ方が違うのか?題目を唱えて良い事が有った人と無かった人は何が違うのか?

③創価学会は法華経を所衣の経典としていますが、法華経の最後のところに「観普賢菩薩行法経」というのが有るそうですが、どのような行法なのでしょうか?

コメントお待ちしております。


③については園頭先生はこのように言っています「創価学会の教義については色々な人たちが批判をしているけれども、この点について批判した人は誰もいない。私が初めてだと思うが、この「行法」のことが説かれなかったことは、創価学会の致命傷である。創価学会は欠陥宗教である。宗教の専門家が見れば創価学会は「宗教」とはいえるものではない」だそうです。

まぁ、いずれにしてもコメントをくれた学会員の方、あなたは私の不幸を願っているようですが、私はあなたが幸せになる事を願っているし、祈っています。そこが、あなたの考える信仰と私が行っている信仰との違いだと思います。

ではでは。