八正道 | H-MANオフィシャルブログ「H-MANのナカナカナイブログ」Powered by Ameba

八正道

なんだか夏らしいような、そうでもないような、日が続いていますが。いかがお過ごしでしょうか?

先月26日は長崎、佐世保でイベントの予定でしたが、雨で中止、残念、、、気持ちを抑えきれない私は葉山の海の家オアシスへ行ってホームグロウンに飛び入り。やっぱりオアシスは良いですね。最高~!!!ァ~面白かった。

1日はヒューマンクレストが東扇島でダンスをやっているとの事で遊びに行く。やっぱり野外でサウンドシステムは良いですね。シチュエーションもバッチリですよ。夏の間にまだ何回かやるようなのでチェックして、行ってみてください。ブッチャーズテーブルのジャークチキンも出てました。相変わらず美味でした。



あ、さて今回のお題は前回書いたように『八正道』について書こうと思います。高橋信次先生の本を読むと八正道の事が出てくるわけですが、なるほどと思うと同時に、実践するとなると引っかかるのが八正道だと思います。ですから、高橋先生の本を読んだり、講演を聴いたりした人は何万人もいたわけですが、その教えを実践した人は少なかったという事でしょうか。

まず八正道というのは元々『四諦八正道』といいまして「四諦」という言葉がつきます。四諦というのは何か?「苦」「集」「滅」「道」の四つを言います。まぁ、生きていますと生老病死の苦しみ(苦)にあうわけですよね、それが重なって(集)いくと、それを何とか解決(滅)したいわけですよね、そのための方法(道)がつまり中道、八正道であるという事らしいです。で、その八つの道とは、、、

正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定この八つを心の尺度として生活をするということなんですけど、何のことやら、分かるような分からないような、既にやってるようなやってないような、、、気分になりますが。

しかし正しく見る、正しく思う、正しく語る、、、とは言っても何が正しいのか。意見の分かれるところでしょうか?ただこの何が正しくて正しくないかを判断するのが真の宗教であり、信仰の目的、人生の課題なのですからやはり考えなくてはいけません。ここで「何が正しいかなんて分かるわけない」と言って思考停止してしまえばそれまでです。正しく見たり、思うという事を知らなかったり、実践しようと思わなければ、いつまでたっても正しく見たり、思ったりは出来ないという事です。っと、言っても私達は永遠の転生輪廻をしているわけですからいずれ八正道を実践する事になりますけどね。

さて、その正しさの基準ですが、一つは「調和」もう一つは「心の安らかさ」です。「調和」が正しいというのは分かると思いますが、なぜ「心の安らかさ」が正しさの基準なのか?高橋先生がよくおっしゃられていた言葉に「他人には嘘がつけても、自分には嘘がつけない」というのがあります。これは当たり前のようですが、よくよく考えてみないといけません。「自分に嘘がつけない」のなら自分が正しいことをしているのか、正しくない事しているのか、分かるということになってしまいますよね。そして正しい時は心は安らかだし、そうじゃないときは安らかじゃないという事です。ただ生まれてからの環境、教育、思想、習慣そして煩悩に支配され「心の安らかさ」に鈍感になっているという事です。

では、八正道を端から見ていきましょう。


まず最初の三つ「正見」「正思」「正語」

正しく見る、思う、語るですが、まぁ、皆さん普通に生活していれば、多かれ少なかれしようと思って居る事だと思いますが。まず正しく見る。物事を正しく見ることから全ては始まりますよね、偏った見方はいけません、中道。この中道というのも、例えばAとBという意見があってその中間という意味ではありません。善意の第三者の目で見るように心がけるという事です。見て、そして何か思うわけですが。これもAとBとどっちが得か?ばかり考えていたら失敗するなんていうのは誰でも経験上分かると思いますが。自分には嘘がつけないのですからその思いは、調和を前提にしているのか?心は安らかなのか?考えてみる事です。そして語る、言霊なんてことも言いますし、語るという事は行動の第一歩だといえるでしょう。怒りや、妬み、誹りなどは控えたほうが良いですよね。と言ってもついついやっちゃうわけですけど。ただ正しく語るといっても、何でもかんでも本当のことを言えば良いということではないです。「あなたはバカですね」なんて事はたとえ本当でも言わないほうがいいに決まってますよね。調和を前提にした嘘はありです。嘘も方便ってやつですね。


次に「正業」

正しく仕事をする。八正道の中に正しく仕事をするというのが入っているのには少しびっくりします。なぜなら、お釈迦様は働いていないわけですから。と言っても当時のインドでは出家という立場でなければ正法(仏法)は説けないし、人々も耳を傾けないという事です。ですから高橋先生は今生では自ら事業をし、家族を作り正法を説きました。「宗教なんかでメシが食えるか」と他の宗教者には耳の痛いようなこともおっしゃられていました。私は以前「お坊さんにならないと、出家しないと、悟れないなら世の中は何も生産されなくなるし、結婚もしないで子供が出来なければ世の中終わりじゃないか?じゃあ、坊さんてなんだ?」と疑問に思っていたのですが、やはり出家という制度はまちがいのようです。正しく仕事をするには労使の調和が大事でしょう。闘争は闘争を生むだけですから。


「正命」

正しく生きるということですが、どういうことなのか?簡単に言っちゃうと自らの調和、他人との調和という事です。正しさの基準の「心の安らかさ」というのも「調和」から生まれるわけですから。他人との調和の最小単位は夫婦の調和ということになるでしょう。未婚の方は親との調和でしょうか。その調和した時の心の安らかさがを基準にして物事を判断し、行動することで、近隣、社会、国、地球全体、、、と調和(光)は広まっていくわけです。


「正精進」

簡単に言えば、努力と実行という事になります。八正道でも、仕事でも、料理でも何でも良いですけど始めないと始まらないですよね。継続は力なり、


「正念」

正しく念じる、「正思」にも通じますが。空を飛びたいという思いが飛行機を作り。遠くの人としゃべりたいという思いが電話を作る。念じた事はそれなりに帰ってくるのですから。良くない事を念じれば、人を呪わば穴二つなんてことになるわけです。心は「一念三千」と言って善にも悪にも通じますので、気をつけなければいけません。

「正定」

正しく定に入るという事なのですが。瞑想の事です。「正定」以外の七つは八正道という事を考えなくても、生きているだけでも多少は実践しているし、道徳でも言われていることですが。「正定」だけは意識的にやらなければ出来ません、道徳と宗教の違いになると思います。「正定」の第一歩は反省です。いくら八正道を実践するといってもいきなり全てが出来るわけではありませんから。その日の行いや思った事を寝る前に八正道に照らして反省します。ただ、それだけではないし、少し長くなりそうなので「正定」についてはまた次回書こうと思います。

もちろん私のブログだけでは不十分ですので、高橋先生の本を何度も読むことです。

ではでは。