更新遅れてスミマセ~ン | H-MANオフィシャルブログ「H-MANのナカナカナイブログ」Powered by Ameba

更新遅れてスミマセ~ン

いや~、更新が、、、更新しなくては、更新、更新、コウシン、、、なんて思っている間に、うっとうしい梅雨も明け、すっかり夏ですね。蝉が鳴いてますが。皆さんいかがお過ごしでしょうか?

夏はいいですよね。夏が好きです。レゲーがよく合う。

え~、、、まずは、、、7月10日に行いましたナンジャマン、ジュニア ディーとの合同リリースパーティー無事に終える事が出来ました。見に来てくれたお客様、遊びに来てくれたレゲー関係者の方々アリガトウございます。スタッフの皆さんご苦労様でした。

どのような感じだったかと言いますと、各自がニューアルバムの曲を歌い、それに残りの二人が勝手に絡んでいくという、リリースパーティーとは思えない!ロバダブなショウでした。やってる自分達もどのような展開になるかは分からないので、いつに無く楽しく出来ました。そのうちスペースシャワーTVで放送するようなので興味のある人はどうぞ。

しかしこのような形でのセッションは誰とでも出来るという事ではないので、ジュニア、ナンジャという気心知れた仲間と今もDJやってられる事はなんともし幸せだな~、、、なんて思ったりしました。ゲストで出てくれたヨーヨーシー、ムーミンこの二人とも随分長い付き合いです。リスペクト!!!



さてさて、長らく更新を怠っている間に、沢山コメントを頂きました。アリガトウゴザイマス。全てのコメントに答えられるわけではないのですがいくつかに答えながら今回は進めて行こうと思います。私のブログは別に日記を書いているわけではないので、賛否両論あると思います。その中には肯定しているようなコメントでも、この人はあまり分かってないなという方もいますし。否定のコメントでも嗚呼そういう考え方もありますかというコメントもあります。いずれにしてもコメントは一つ一つ必ず目を通させていただいています。


コメント:「死んでも終わりじゃない」と思っていた人が死んで終わったら焦るでしょうね。悔やむでしょうね。きっと。

コメントにコメント:これは理論的に破綻していると思いますが、いかがでしょう?「死んで終わり」なら焦ったり出来ないという事ですから、焦るという事は「死んでも終わりじゃない」という事になっちゃいますけど。


コメント:死んでからの事なんて生きている人が解る訳ないんで、所詮誰かが誰かの都合の良い風に死後を解釈しただけだと思いますねぇ…。

コメントにコメント:一体どのように都合がいいのでしょうか?「死んだら終わり」だから皆です好き勝手やろうぜ~、の方が都合がいいんじゃないでしょうか?


コメント:因果応報(善因善果、悪因悪果)があるとしても、善悪の判断をつけるのは難しそうですね。生活してると、グレーゾーンがほとんどの気がしますから。

コメントにコメント:これはなかなか面白い、と言うか皆が考える事だと思います。私も以前はそのように考えていたと思います。さてここで問題になるのはその善悪の判断をつけられるようになろうと思うか、そのまま過ごしてゆくかです。しかもこの二者択一もまた善悪の判断という事になります。そのように考えると全ては二者択一でグレーゾーンと見えるものはありません 。ただその善悪の基準になるものがわからないのでグレーゾーンに見えてしまうだけです。例えば手を挙げるという行為も頭の上まで挙げているのも、ちょっとだけ挙げているのも「挙げている」です。手を挙げてないのは「挙げていない」という行為です。ちゃっとだけ挙げているというのは「挙げているような挙げていないような」グレーゾーンではないわけです。

話を元に戻しますと、善悪の判断をつけられるようになろうと努力するのと、そうしないのとではどちらがより良い人生が送れるのかということですが、当然努力したほう言いと思いますが。そしてその努力の過程、勉強や仕事や、家庭を始めとした人間関係の中で失敗もしながら善悪の判断が付いていくのではないのでしょうか。そのような中で私が行き着いたのは高橋信次先生の教えだったという事です。それは「八正道」を尺度として判断しろという事です。「八正道」についてはいずれ書きますが。興味のある方は高橋先生の本を読んでもらった方が間違いがないと思います。

前にも「因果応報ねぇ・・・・・・いい子にしてればサンタさんが来るよ、みたいな。悪い子にはなまはげが来るよ、みたいな。因果応報って言葉で括っちゃえば楽ですけどね。」というコメントを書いてくれた方がいて、楽ならやっぱいいじゃないですかね?因果応報で、なんて思ってのですが。因果応報はないという前提で生活していても因果応報は実感する事は出来ません。因果応報はあるという前提で生活した時に初めて分かってきます。

聖書の言うところの「求めよさらば与えられん」というのはこのことです。

神を信じないで神の愛は感じられません。死後の世界はないと思っている人はあの世は死ぬまで分からないという事です。ただ人間は皆神の子ですし、死後の事はわからないといっても遅かれ早かれ皆死ぬのですから、いずれその答えは出ることになります。因果応報もそんなのないと思う方はそのように生きていけばいいのです。ただ因果応報や転生輪廻は「法則」ですので信じようが、信じまいが100%働きます。

前回、死について更につっこんだ事を書くと言いましたがこんな感じになっちゃいましたので、次回書こうと思います。

高橋信次先生は常に疑問を持てという事を言われていたので、反論、反対意見のコメントもどうぞ。私も勉強になりますし。

ではでは。