人間・釈迦④を読む
いや~、レコーディングでブログが更新できないとか言っときながら、レコーディング終わっても更新が遅れてしまいました。スミマセン。こうなると、ただ、だらしが無いだけのような気もしますが、、、
と言っても、アルバム制作に向けて着々と準備を進めています。詳細は次回のブログで書こうかな、と思っっています。
話は変わりますが、先月の24、25、26日と二度目の断食をしてみました。いや~しんどかった。しかも、二日目には結婚式の二次会に参加、みんながご飯食べてる中、一人水を飲んでました。だけどまぁ、一回目よりもやる事や、どのような状況、体調になるかはわかってたので、やりやすかったかな。断食の最中は早くやめたいと思うのですが、断食後は途端に絶好調、またやろうと思ってます。いずれにしろ、断食がきついのは普段食べ過ぎなんですよね。
さて、本題に入りましょう。あまり評判はよくないような気もしますが。今回も
『人間・釈迦』④カピラの人びとの目覚め (三宝出版)
です。
『人間釈迦』は高橋先生が亡くなられ未完のまま、終わりになってしまい残念ですが。この第四巻の終わり方は、高橋先生のつくられたGLAがその後、おかしな方向に行ってしまうことが、分かっていて、その弟子たちに書かれているような終わり方です。
~ともあれブッタは情の人であった。修行者のなかで秩序を乱す者があっても、滅多に破門はしなかった。否、一人として破門をブッタから言い渡された者はいなかった。破門者は自ら身を引き、去っていった。(未完)~
で終わっています。その後GLAはどうなって行くかといいますと。高橋先生の息女桂子氏が自らをミカエルと名乗り、「ミカエル宣言」なるものをして「人類を救うメシアは自分、ミカエル桂子であり、釈迦もキリストも、父である高橋信次の教えも人類を救う者ではない」と言い出し、講師陣もそれに従います。そしてそんな茶番には付き合いきれないといって園頭先生は高橋先生の教えを引き継ぐために「国際正法協会」を立ち上げました。ですから今もGLAは存続していますが高橋先生の教えとは全く別物ですので、ご注意ください。しかも園頭先生の亡くなられた後も同じような事で正法協会もおかしくなっていくのでした。
それから、幸福の科学の大川隆法も「高橋信次霊言集」!!!!なるものを出します。これは絶版になったのかと思ってたら、最近また復刊されてました。しかもその当時GLAの講師の中にもそれを信じて、幸福の科学に流れた者もいたそうです。困ったものですが。こんなの、高橋先生の本と大川隆法の本と読み比べてみればわかりそうなものですがね。これは他の宗教家や宗教学者の本にも言えることですが。そういう意味でも一度、高橋先生の本を読んでみて欲しいです。
さて、キリストやブッタが、立てない人を立たせたり、目の見えない人を癒したりという奇跡を沢山起こしたというのは皆さん、なんとなくでも、聞いた事があると思いますが。もちろん高橋先生もそのような事は枚挙に遑がありません。そんななかでちょっと面白い話を書いてみようと思います。
あるとき、GLAの講師の一人が高橋先生に言いました。「私はもう一切の執着がなくなりました」???えっ?随分、と大それた事を言ったものですが。当時先生の周りにいた講師陣はそうとう調子こいてたので無理もありません。もちろん高橋先生はそれがどういうことか分かっていますが「そうですか、それはいいですね」ってなもんです。他の宗教団体の教祖と呼ばれる人にこんなこと言ったら一体どんなことになってしまうんでしょうね。考えただけでも恐ろしいですが。ただ、高橋先生は一味も二味も違います。と言うかまるで違います。
その夜、その講師は夢を見ます。夢の中で歩いていると、何とお金が落ちているじゃありませんか。講師は周りの人にばれないようにお金を踏んずけ頂こうとします、、、すると電話が鳴ります、高橋先生からです。「残念でしたね、あなたは不合格です」夢の中でテストされたのでした。
このテストは園頭先生もされたそうです。園頭先生の時は夢の中で、自分の布団の中に絶世の美女がもぐり込んでくるというものだったそうです。もちろんすぐに高橋先生から電話がきます。「あぶないとこでしたね、あなたは合格です」
多くの宗教団体があり、その数だけ教祖がいるわけですが。他人の夢をコントロールするという話は聞いた事がありません。ただこのような奇跡といわれるものは説かれている法が正しいという証拠として起きているのであって。軌跡ばかりに目を向けていると、GLAの講師といえども間違った方向に行ってしまいます。聖書の中にも奇跡やお陰ばかりを求める人々に困っている場面がよく出てきます。
大切なのは、キリストやブッタの説いた法であり、高橋先生の説かれた法を実践する事です。ただまぁ、正法に触れ、実践するのはなかなか難しいですね。まさに針の穴にラクダを通すより難しいかもね。
そういえば、前回のブログでコメントに答えて、「良くないと思った事はすぐやめる」と書きましたが、これもなかなか難しいですよね。それも努力している内はまだやめれてないのですから、少しずつでも修正していきたいものです。
ではでは。
と言っても、アルバム制作に向けて着々と準備を進めています。詳細は次回のブログで書こうかな、と思っっています。
話は変わりますが、先月の24、25、26日と二度目の断食をしてみました。いや~しんどかった。しかも、二日目には結婚式の二次会に参加、みんながご飯食べてる中、一人水を飲んでました。だけどまぁ、一回目よりもやる事や、どのような状況、体調になるかはわかってたので、やりやすかったかな。断食の最中は早くやめたいと思うのですが、断食後は途端に絶好調、またやろうと思ってます。いずれにしろ、断食がきついのは普段食べ過ぎなんですよね。
さて、本題に入りましょう。あまり評判はよくないような気もしますが。今回も
『人間・釈迦』④カピラの人びとの目覚め (三宝出版)
です。
『人間釈迦』は高橋先生が亡くなられ未完のまま、終わりになってしまい残念ですが。この第四巻の終わり方は、高橋先生のつくられたGLAがその後、おかしな方向に行ってしまうことが、分かっていて、その弟子たちに書かれているような終わり方です。
~ともあれブッタは情の人であった。修行者のなかで秩序を乱す者があっても、滅多に破門はしなかった。否、一人として破門をブッタから言い渡された者はいなかった。破門者は自ら身を引き、去っていった。(未完)~
で終わっています。その後GLAはどうなって行くかといいますと。高橋先生の息女桂子氏が自らをミカエルと名乗り、「ミカエル宣言」なるものをして「人類を救うメシアは自分、ミカエル桂子であり、釈迦もキリストも、父である高橋信次の教えも人類を救う者ではない」と言い出し、講師陣もそれに従います。そしてそんな茶番には付き合いきれないといって園頭先生は高橋先生の教えを引き継ぐために「国際正法協会」を立ち上げました。ですから今もGLAは存続していますが高橋先生の教えとは全く別物ですので、ご注意ください。しかも園頭先生の亡くなられた後も同じような事で正法協会もおかしくなっていくのでした。
それから、幸福の科学の大川隆法も「高橋信次霊言集」!!!!なるものを出します。これは絶版になったのかと思ってたら、最近また復刊されてました。しかもその当時GLAの講師の中にもそれを信じて、幸福の科学に流れた者もいたそうです。困ったものですが。こんなの、高橋先生の本と大川隆法の本と読み比べてみればわかりそうなものですがね。これは他の宗教家や宗教学者の本にも言えることですが。そういう意味でも一度、高橋先生の本を読んでみて欲しいです。
さて、キリストやブッタが、立てない人を立たせたり、目の見えない人を癒したりという奇跡を沢山起こしたというのは皆さん、なんとなくでも、聞いた事があると思いますが。もちろん高橋先生もそのような事は枚挙に遑がありません。そんななかでちょっと面白い話を書いてみようと思います。
あるとき、GLAの講師の一人が高橋先生に言いました。「私はもう一切の執着がなくなりました」???えっ?随分、と大それた事を言ったものですが。当時先生の周りにいた講師陣はそうとう調子こいてたので無理もありません。もちろん高橋先生はそれがどういうことか分かっていますが「そうですか、それはいいですね」ってなもんです。他の宗教団体の教祖と呼ばれる人にこんなこと言ったら一体どんなことになってしまうんでしょうね。考えただけでも恐ろしいですが。ただ、高橋先生は一味も二味も違います。と言うかまるで違います。
その夜、その講師は夢を見ます。夢の中で歩いていると、何とお金が落ちているじゃありませんか。講師は周りの人にばれないようにお金を踏んずけ頂こうとします、、、すると電話が鳴ります、高橋先生からです。「残念でしたね、あなたは不合格です」夢の中でテストされたのでした。
このテストは園頭先生もされたそうです。園頭先生の時は夢の中で、自分の布団の中に絶世の美女がもぐり込んでくるというものだったそうです。もちろんすぐに高橋先生から電話がきます。「あぶないとこでしたね、あなたは合格です」
多くの宗教団体があり、その数だけ教祖がいるわけですが。他人の夢をコントロールするという話は聞いた事がありません。ただこのような奇跡といわれるものは説かれている法が正しいという証拠として起きているのであって。軌跡ばかりに目を向けていると、GLAの講師といえども間違った方向に行ってしまいます。聖書の中にも奇跡やお陰ばかりを求める人々に困っている場面がよく出てきます。
大切なのは、キリストやブッタの説いた法であり、高橋先生の説かれた法を実践する事です。ただまぁ、正法に触れ、実践するのはなかなか難しいですね。まさに針の穴にラクダを通すより難しいかもね。
そういえば、前回のブログでコメントに答えて、「良くないと思った事はすぐやめる」と書きましたが、これもなかなか難しいですよね。それも努力している内はまだやめれてないのですから、少しずつでも修正していきたいものです。
ではでは。