だだにゃんのゲドク戦記 ~イギリス・レシピへの旅~


先日電車の中で見かけた

天声人語。


ずーっと頭に残っていたのですが、

奇遇にも

昨日リマインドすることがあったので

ブログに上げてみようと思い立ちました。


そんな長くないので、読んでみてください。



「LOVE(ラブ)」と「LIKE(ライク)」はどう違うのか。

何で読んだか思い出せないのだが、ある説明に感心して書き留めたことがある

「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、

「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら

「程度の問題ではない、と人に教えられたことがあった。


その先生は、

「LOVE」は異質なものを、

「LIKE」は同質のものを、

求めることで、

そこが違うのだという説明の仕方をした。



このはなはだ哲学的な解釈が、言葉の説明としても正しいのか、どうかは知らない。

しかし、聞いていて、なるほどと思った。


神への愛であれ、

異性への愛であれ、

「愛」には不安定な激しさが感じられる。

それは、

自分と異質なもの、

対極にあるものに立ち向かうために起こる

燃焼のせいかもしれぬ。



これに対し「好きだ」ということには、

何かしら安定感がある。

自分と同質なもの、

共通するもの、

同一線上にあるものを知る歓びであるためのような気がする。



いいかえれば、


「LOVE」は、異質な相手と合体することによって

はじめて自分が完全になれるという欲求だとすれば、


「LIKE」は、自分と同じものを

相手の中に確認したい願望だといえようか。


 

「愛」も

もっとも深い、本質的な情念にして、

人間が造られたのだとすれば、

やはり驚嘆すべき造化の妙にちがいない。


しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。


知恵があるので、

一万メートルの空を飛ぶこともできるし、

原子を破壊する秘密さえ知っている。


知恵があるので、

目標を立て、

それを達成するために

もっとも効率のよい組織をつくり、

もっとも便利な方法を編み出す。


このようにして物事を合理的にしてゆくことで、

さまざまな問題が起こってくるが、

その一つは万物を数字にしてしまうことだろう。


数量化しなければ

物は合理的にならないが、

数字にすれば、

一つ一つの持つ意味や質は無視されることになる。

 


あなたにとってかけがえのない人も、

他の人とまったく同じように「一人」として数えられるにすぎない。


「小鮒釣りし、かの川」も、

水量何トン、

長さ何キロの川になってしまう。


このようにして、

人も物もすべてが「統計数字」になり、

同質化されていく。




「愛」が人間のもっとも本質的な情念とされたのは、

実は、異質のものと対することにより

人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろうか。


その意味で、

人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。