バランスの取れた考えをする、ということにいつも困難を感じています。



 何か一つ悪いことがあったとしても、全てがダメではないはずだし、上手く行っている様に見えても、何かしら困難を抱えているかも知れません。

 他人については、白黒のどちらかで捉えないで多面的に考えられるのに、自分のことになると、好転する可能性が全く無いように感じたり、極端に絶望して無力感に囚われたりしてしまいます。

 真ん中を行くということができません。
 右から見たり左から見たり、下から透かして見たり、一度遠くから離れて見たり、落ち着いたら気持ちが変わると信じて忘れておくのが難しいのです。

 人に弱音を吐きまくって励ましてもらってどうにか立ち直っています。
 こういうのをかまってちゃんと呼ぶのでしょうか。

 『私はもうダメだ』と言われて、
『うん、そうだね、もうダメだね』と言う人がいますか。
 『そんな事ないよ、あなたは大丈夫よ。十分できてるし頑張ってるよ』と言ってもらうために弱音を吐いているわけですから、手のかかるおばさんですよね。

 いい歳して恥ずかしいと思いますが、加齢により悪いところが煮詰まってもっと酷くなっている気がします。加齢による年の功で良くなるべきなのに。

 友人にもっと辛い話をさせてしまって、『私なんてこんなに酷い状況なんだよ、こんなに辛くても何とか生きてるよ、こんな私に比べたらあなたなんて、よくある加齢とかうっかりが原因の事だから大丈夫よ。』と言ってもらい、自分に対する期待値を下げるという方法を教わりました。

 人に頼る、出来なくてもどうにかなると思う、人並みを目指さない、人の真似をしようとしない、最低ラインでもいいと思う、など自分に言い聞かせています。

 何にそんなにプレッシャーを感じているかというと、海外で少し生活する事になり、他人から情報を入れ過ぎて不安になってしまっていたのが原因です。
 SNSを見過ぎると自己肯定感が下がって鬱になるというのは若者が陥りそうな罠ですが、おばさんでも、他人のキラキラ生活を見せられると自分も何かしなきゃいけない気がしてしまったのです。

 
 そして二日酔いの状態で人に会って、全く頭と身体の焦点が合わなくて落ち込んでしまったのもあります。いい歳して何してるんだろう…


 
 生野区にある歯医者さんに行ったついでに久々に桃谷の食堂のイモニムにお会いして不安を口にすると、涙が出てきました。
 私を励ますために言ってくださった言葉を忘れないように書いておきます。


人に近づきすぎると見えなくなる、遠すぎても見えないから、距離を保つのが大事。


自分が中心から動かない、
あの人がこう言った、この人がこう言った、といって信じてはいけない、
ああ、そうですか、とだけ言って、自分はそれ以上信じてはいけない。


何も不安じゃない、どこでも生きていける。불안 말하지마.
目があって手があって口が動いて足があればどこでも生きていける。
어디서나 살 수 있어요。

一人で行くんじゃない、旦那さんと手を繋いで行くんでしょ、二人でしっかり手を繋いで行けば大丈夫。괜찮아요.


 涙腺崩壊しながら見送ってもらいました。
 振り返って手を振ろうとする私に、振り返らなくていいから早く行きなさいというイモニム。
 早く行って、気をつけて、というイモニムの声を背中で聞きながら一生懸命桃谷の駅まで歩きました。

 韓国ドラマみたいだなあと思いながら。










終わり