今から5年以上前になるだろうか、
その当時ファンだった役者さんが引退してしまって、私はかなり落ち込んでいた。
都若丸劇団のファンを辞めてはいなかったが、観に行く気持ちになれなかった。
若丸座長をはじめ、他にも素敵な役者さんはたくさんいたけれど、どんな気持ちでどんな顔をして行っていいのか分からなかった。
わざわざ行ってその役者さんがいない舞台を確認するのも悲しい気がしていた。
しばらく観劇を休んでいた後に、友人の誘いもあって何とか観に行くことが出来た。
舞台は絶好調、役者さんが1人減っても盛り上がりは変わらない。
寂しさでモヤモヤしているのは自分だけだろう。
さて、送り出しで誰の列に並べばいいのか迷った。
(今思えば、並ばないで、すっと帰っても良かったのに、その頃はとにかく並ばなければいけないと思っていた。)
座長以外の役者さんのファンの列は、だいたいいつも顔ぶれが決まっている。
誰も自分のことなんて見ていないのは分かっているけれど、自意識過剰と言われるかも知れないけれど、ファンだった役者さんが退団してしまった人はどうすればいいのか。
劇団のファンであるから座長の列に並ぶのは不自然ではないだろうと思って、若丸座長の長い列に並んだ。
普通にご挨拶だけして写真を撮ってもらえばいいと思った。
その日は写真撮影の担当がゆかりさんだった。
ゆかりさんは私の姿を認め、
寂しさ、共感、慰め、励ましなど、色んな感情がないまぜになった目をしてうんうんと頷いてくれた。
言葉では何も言わなかったけれど、
私の喪失感や迷いを全部理解してくれて、あたたかく包み込んでくれたのを感じた。
一言も発さないで、ほんの2秒ぐらい見つめ合って。小さくうんうん。
私も何も言えないで、小さくうんうん。
それで十分、気持ちの区切りが付いた気がした。
ただ座長にご挨拶してお礼を言って、写真を撮って帰ることが出来た。
もう自意識過剰な説明をしなくていいと思った。
今思えば、ゆかりさんも長年一緒に頑張って来た劇団の仲間を失うのは辛かっただろう。
それでもゆかりさんは毎日笑顔で元気いっぱいの舞台を見せてくれていた。
ゆかりさんのお母様が亡くなられた時、私は送り出しで少しだけお悔やみの言葉を言わせていただいた。
その時も全然悲しそうな素振りを見せないで、むしろちょっとふざけて私を笑わせてくれた。
どこまでも、人に心配かけまいと強がってしまう人なのだ。
そうやって何とか悲しみに暮れないように、空元気でも大きい声を出して自分を鼓舞し、毎日舞台に立ってくれていたのだ。
そんなゆかりさんが、引退発表で痛い辛いと初めて言った。
ゆかりさんと親しいお客さんたちは知っていたのだろうか?
私は全く知らなかった。
10月新開地の千秋楽の日、送り出しで最後のご挨拶をさせていただいた時、ゆかりさんはすでにハラハラと涙を流されていた。
『また、帰って来てください』と私が言うと、ゆかりさんは私の手をギュッと握って、まっすぐ私の目を見て、『はい』と言ってくださった。
帰り道は涙が止まらなかったけど、ゆかりさんの手の感触と、『はい』って言ってくれたから、『はい』って言ったということはまた戻って来てくれるんじゃないかという希望を反芻しながら歩いていた。
どんな時でも最高のお芝居、舞踊を見せてくれたゆかりさん。
最高の舞台女優、唯一無二のコメディエンヌ。ゆかりさんじゃないと出来ないお芝居は、伝説上になってしまうのだろうか?
『あの伝説の舞台が帰って来た!』
という日が来るといいな。
ゆかりさん、ゆっくりお休みになってご家族と楽しい時間を過ごして、早く良くなりますように。痛みが消えますように。
また舞台でゆかりさんの元気なお姿を見たいです。
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