今日は8月15日です、79年前に太平洋戦争が終わりました。
こういう時期だからこそ、太平洋戦争で日本のために戦った英霊たちに心から感謝したいものです。
そんな心境から「門田隆将」の「太平洋戦争 最後の証言」を読み上げました。
本作は、
第一部 零戦・特攻編、
第二部 陸軍・玉砕編、
第三部 大和沈没編
の3部作構成になってます。
インタビュされた方は生き残った方々です。
それでも、どれも読んでいて心が重くなる内容になっています。
しかしながら、亡くなった方への供養だと思い読み切りました。



大東亜戦争を描いた第三部大和沈没編です。
既に戦局は決したも同然の1945年4月、本土決戦が叫ばれていました。
その空気の中で、大和に与えられた使命は、一億総特攻の先駆けでした。
作戦の無謀さを指摘した伊藤指令長官が、説明に来た幕僚に言います。
「死んで来いということだな」
本書では水兵から下士官まで、各自の一時帰郷と家族との別れを丹念に綴っていますが、
時代ゆえに無事に戻っておいで、と言えぬ悲しみがありました。
特攻前日、大和の乗組員約3400人は最後の酒宴を開き、国土防衛を誓い、己を奮い起こすように酒を呑みます。
護衛機のない大和は屍肉に群がるハゲワシの群れに襲われるごとく、猛攻撃を受けます。

この本では生き残った兵士たちの生々しい記憶によって、その戦闘が再現されていますが、
そこには想像力では及ばない過酷さがありました。
甲板上に千切れた手足を、どんどん海に捨てつつ、滑るという理由で河となった血を洗い流します。
魚雷が命中する度に傾く大和ですが、各区画に注水を繰り返しながら復元を図り、
その途上では兵員のいる部分さえも犠牲にしていくのでした。
艦の傾斜がきつくなると、鋼鉄の1トン近いドアが開かなくなり、兵員は閉じ込められた中で水死するしかありません。
その時に、ドアが開きません、という叫び声が他の生き残った兵員の耳にこびりつき、
70年近く経った今でも、はっきりと思い出すそうです。
沈没寸前に「総員退去」の命令がありますが、戦闘服の前をはだけて軍刀で切腹する士官、
バンザイを叫ぶ兵、最後の一服とばかりに恩賜(おんし)のタバコを喫う兵とさまざまでした。

海中に没してから、水中で大爆発を起こす大和の周囲には夥しい生と死が交錯します。
生死を分けたのは運だけではなく、なにがなんでも生き抜こうという意志の力でした。
何人かで固まって軍歌を唄いながら励まし合い、救助の艦を待つわけですが、
助かった瞬間に生きてしまったという罪悪感を持つ下士官も少なくありませんでした。
漂流していて、いよいよ最期と感じた時、多くの兵は故郷や母親の顔を思い出したそうです。
結果的に生存者は約300人、死亡率90%でした。

著者で在る「門田隆将」は問いかけます。
「あの時代は狂気そのものだったとか、人々は軍国主義によって洗脳されていたなどという人がいる。
戦後教育は、そうした過去を位置づけ、さまざまな事実を封印してきた。
そして、自分たちのすぐ隣にいる最前線で戦った兵士たちの証言と実体験を軽んじてきた」
貴重な書です、読んで良かったと思います。
来年は80年目になります、こんな経験をした人の多くが鬼籍に入ります。
こんな過去が在った事をよく考えなければ・・・。