森美術館で展覧されている『医学と芸術展』を観てきました。

森美術館は平日22:00まで行けるから、好き。

昨年の一番はやっぱり、デミアン ハーストの牛の輪切り。

輪切りにされた牛の前から動けなかったのを思い出す。



今回もデミアン ハーストの作品を観れるという目的と、ダヴィンチに期待を寄せ、

久しぶりの美術館へ。

予想以上に、

なんというか、

今の自分的に考えさせられる作品が多かった気がする。

人間は死んだら、「物」と考えるか。

生きる顔、死んだ顔。

生きる事=老いを伴う事。

科学的に作られた畜光ウサギ。。。

頭骸骨(本物)1体を、板に貼った紙ヤスリにかけた作品。

蜷川実花さんの義足。

もちろん鮮やかに花で彩られ、足の爪にはペディキュアを。

しだれ紅葉の木。

枝の先にはステンレスで出来た作者の顔が生えている。



作者達によって、「生命」の捉え方が異なる。

生きること。ってなんなんだ?

アート(芸術)ってなんなんだ?

そもそも、私ってなんだ?

「フラワーアーティスト」って肩書き引っさげてるけど、

私の中のどの部分にアートといわれる物があって、

どこに向かって表現しているのか。

自己表現とは?


世界的な作品や、観たものが何らか自分に入ってきてしまうと、

そんな事ばっか考えてしまうから、ただ、ひたすら。


世の中には、特殊能力をもっている人や本物の「天才」もいると思う。

けど、残念か、当たり前か、ほとんどの人間は天才でないだろう。

よかった事に私も天才じゃないから、笑、、、

やっぱ、私は3年以上の夢はみないようにしよう。
(絶対批判されそう、あくまで持論です。悪しからず。)

雲を通過するような遠い夢は、先の見通しが悪い。

大きな木は、近くで見上げると大きいけど、

少し離れてみれば、1本の木として見れる。

自分にもどうにか上れるんじゃないかと、考える余地がある気がする。



自分自身をフルに使い、考え、行動していこうと。

自分の目の前の道を着実に。

これが、正しいのか、なんだかよくわからない。

きっと、死んでもわからないんだろうな。

自分の答えは自分の中。




たくさんたくさん考えて、悩んで泣いて、

目一杯笑って、呑んで、、、

そして、

たくさんの作品を思う存分創って、

いつか、

きっと、

疲れ果てて眠る。

そんな人生になりたいなぁと思う。








内藤陽子オフィシャルブログ「dadaflora」Powered by Ameba


『医学と芸術展』

@森美術館  ~2月28日まで