昨日にーさんに言われた
「考えるのって、楽しい?」
から。
なんかどうしても納得いかなくて。
というか悔しくて。
結局「見通しだ。」
みたいな感じでまとめられ…。
かつ最終的には蚊帳の外っぽくて。
私は考える。
いつも考えてる。
どうしたら上手く授業ができるだろう
どうしたら子どもがイキイキする授業になるだろう
どう言えば子どもに伝わるだろう
どうしたら気持ちよく過ごせるだろう
何をしたら綺麗になるだろう
今、なぜ自分は辛いのだろう
どうして涙が出るんだろう
なぜ体調が悪いのだろう
どうして継続できないんだろう
なぜ寒いのだろう
隣の人はなんで勉強してるんだろう
どうして店員さんはお湯を六分目までしか入れなかったんだろう
なぜ雪が降っているんだろう
この音楽素敵だな何て曲だろう
周りを見渡すだけで、疑問がいっぱい
考えることがいっぱい
知りたいことがいっぱい
自分がこうありたい、こうなりたいというものについて考えてる。
自分が知らないものについて考えてる。
こうなりたい
こうしたい
そのためには?
自分のこと
他者のこと
現象のこと
社会のこと
物質のこと
なんで?どうして?
ワタシのこと、ヒトのこと、モノのこと、デキゴトについて
「考える」ことって、「私が生きてる」ってことなんじゃないかな。
いつも、私は考えてるよ。
誰にメールしようとか、ここで笑顔だ!とか、このまま家に帰りたいなとか。
考えてない人なんか、いないんじゃないかな。
考えないとさ、生きてること自体が何の意味ももたない。
考えない人生なんて、モノクロの世界だ。
考えることで、人生に色がつく。
今日何食べようとか、誰と話そうとか。
考えることが、楽しいとか辛いとか、分かんないな。
だって、それが私にとって「生きてる」ってことだもん。
考えるから楽しいし、考えるからつらくなる。考えるから難しいし、考えるから簡単になる。
考えるからストレスが溜まるし、考えるから気持ちが楽になったりする。
考えるのは楽しいんじゃなくて、当たり前のこと。
「考える」という言葉には、喜怒哀楽、感情ぜーんぶ詰まってる。
もちろん、きっと彼等がいう「考える」は、また別の次元なのかもしれないけれど。
私は、よりよい人生を自分が過ごすために、考えてる。
自分の人生が豊かになるように。
自分が笑っていられるように。
人のことを考えるのは、それが最終的に自分のためになるから。
自分が気持ちよく生きたいから。
だって人がいないと生きていけないもん。
私はきっと自己中なんだな。
でもさ、みんなそうじゃないのかな。
結局は、世界は自分主体で周ってるんだよ。
だって、他者にはなれないもの。
私の気持ちは、私にしかわからないし、
私の人生は、私にしか選べない。
今日なに食べるか、
誰と付き合い結婚するのか、
それを決めるのは、私なのだから。
私の人生は、私が考えて決めるんだ。
考えないひとなんていない。
考えない子どもなんていない。
だから、考える子になりなさい
なんて、ちゃんちゃらおかしい話なんだ。
大人の都合で、
子どもは考えられないと、勝手に決めつけてるだけなんだ。
彼等が考えられてないように見える時は、
彼等は彼等なりに「考え」、大人にとって「考えていないように見える行動」を選択しているだけなんだ。
それは、彼等なりに自分がよりよく生きられるように主体的に「考えた」結果であり、彼等なりの選択なんだ。
ということは…。
私たちは、
もっと違う言葉で、彼等のことを呼ぶべきだ。
私たちが目指すもの
目指す世界
もっと考えて、いかなきゃね。
「考えるのって、楽しい?」
から。
なんかどうしても納得いかなくて。
というか悔しくて。
結局「見通しだ。」
みたいな感じでまとめられ…。
かつ最終的には蚊帳の外っぽくて。
私は考える。
いつも考えてる。
どうしたら上手く授業ができるだろう
どうしたら子どもがイキイキする授業になるだろう
どう言えば子どもに伝わるだろう
どうしたら気持ちよく過ごせるだろう
何をしたら綺麗になるだろう
今、なぜ自分は辛いのだろう
どうして涙が出るんだろう
なぜ体調が悪いのだろう
どうして継続できないんだろう
なぜ寒いのだろう
隣の人はなんで勉強してるんだろう
どうして店員さんはお湯を六分目までしか入れなかったんだろう
なぜ雪が降っているんだろう
この音楽素敵だな何て曲だろう
周りを見渡すだけで、疑問がいっぱい
考えることがいっぱい
知りたいことがいっぱい
自分がこうありたい、こうなりたいというものについて考えてる。
自分が知らないものについて考えてる。
こうなりたい
こうしたい
そのためには?
自分のこと
他者のこと
現象のこと
社会のこと
物質のこと
なんで?どうして?
ワタシのこと、ヒトのこと、モノのこと、デキゴトについて
「考える」ことって、「私が生きてる」ってことなんじゃないかな。
いつも、私は考えてるよ。
誰にメールしようとか、ここで笑顔だ!とか、このまま家に帰りたいなとか。
考えてない人なんか、いないんじゃないかな。
考えないとさ、生きてること自体が何の意味ももたない。
考えない人生なんて、モノクロの世界だ。
考えることで、人生に色がつく。
今日何食べようとか、誰と話そうとか。
考えることが、楽しいとか辛いとか、分かんないな。
だって、それが私にとって「生きてる」ってことだもん。
考えるから楽しいし、考えるからつらくなる。考えるから難しいし、考えるから簡単になる。
考えるからストレスが溜まるし、考えるから気持ちが楽になったりする。
考えるのは楽しいんじゃなくて、当たり前のこと。
「考える」という言葉には、喜怒哀楽、感情ぜーんぶ詰まってる。
もちろん、きっと彼等がいう「考える」は、また別の次元なのかもしれないけれど。
私は、よりよい人生を自分が過ごすために、考えてる。
自分の人生が豊かになるように。
自分が笑っていられるように。
人のことを考えるのは、それが最終的に自分のためになるから。
自分が気持ちよく生きたいから。
だって人がいないと生きていけないもん。
私はきっと自己中なんだな。
でもさ、みんなそうじゃないのかな。
結局は、世界は自分主体で周ってるんだよ。
だって、他者にはなれないもの。
私の気持ちは、私にしかわからないし、
私の人生は、私にしか選べない。
今日なに食べるか、
誰と付き合い結婚するのか、
それを決めるのは、私なのだから。
私の人生は、私が考えて決めるんだ。
考えないひとなんていない。
考えない子どもなんていない。
だから、考える子になりなさい
なんて、ちゃんちゃらおかしい話なんだ。
大人の都合で、
子どもは考えられないと、勝手に決めつけてるだけなんだ。
彼等が考えられてないように見える時は、
彼等は彼等なりに「考え」、大人にとって「考えていないように見える行動」を選択しているだけなんだ。
それは、彼等なりに自分がよりよく生きられるように主体的に「考えた」結果であり、彼等なりの選択なんだ。
ということは…。
私たちは、
もっと違う言葉で、彼等のことを呼ぶべきだ。
私たちが目指すもの
目指す世界
もっと考えて、いかなきゃね。
絶不調。
空回り。
勝手に泣けてくるのよ。
キャパオーバー。
私の力がないだけでしょうか。
彼女を見て思うの。
だけどなんとかなるんだなって。
どんなにひどくったって。
なんとかなるんだよ。
だけど私は納得できない。
妥協したくないし、できない性分なんだな、きっと。
本当はもっとみんなイキイキ仕事できるはずだし。
もっともっと楽しいもののはずだし。
今はイチイチつらい。
毎日がイチイチ苦しい。
なんで?どうして?
私だったらこうするのに…
きっと私は下で働くのは向いていない。
昔から結局運営側。
人を動かすのが好きなんだろうと思う。
だからこそ、今の立場がキツイ。
もっともっと、勉強しなきゃいけない。
その道のプロにならなくてはいけない。
そこで初めて、人に色々なことを言えるんだ。
じゃあ、私は勉強してるか?
工夫しているか?
計画的に動いているか?
答えは、
「足りない」
だ。
足りない。まだまだ足りない。
自分のふがいなさに、涙が出るくらい。
思わず人のせいにしたくなるくらい。
人の上に立つのであれば、
人に振り回されてはいけない。
こちらがコントロールしていかなきゃ。
もちろん、下の方で仕事している人に揶揄されることも、嫌がらせを受けることだってあるだろう。
なぜなら、それが彼等なりの「あなたは私より仕事ができますよ」サインなのだから。
彼等は前に行く人の足を引っ張る。
なぜなら、前に行って欲しくないから。
自分の財産は、隠そうとする。
なぜなら、自分より上手くやられたらこまるから。
自分が上手くいかないのを、人のせいにして生きていくのなんかまっぴらだ。
私は上を向いて生きていきたい。
キラキラしていたい。
もっともっと、説得力のある人間になりたい。
人を包み込む、あったかい人になりたい。
思わず声をかけたくなる、そんな人になりたい。
パワーが足りない。
最近の私は、人のイライラや悪口に負けて、自分まで嫌な人間になってしまっている。
人の気持ちを考えているふりをしている偽善者だ。
口だけ馬鹿野郎だ。
おしゃべりクソ野郎だ。
変換。切り替え。
外に出よう。
外に出て、考えよう。
私なら、乗り越えられる。
大丈夫。
全て上手くいく。
うん。大丈夫。
深呼吸して、一つ大きな伸びをして、一歩前に踏み出そう。
今もこうして、「考えられている」ことに感謝しよう。
空回り。
勝手に泣けてくるのよ。
キャパオーバー。
私の力がないだけでしょうか。
彼女を見て思うの。
だけどなんとかなるんだなって。
どんなにひどくったって。
なんとかなるんだよ。
だけど私は納得できない。
妥協したくないし、できない性分なんだな、きっと。
本当はもっとみんなイキイキ仕事できるはずだし。
もっともっと楽しいもののはずだし。
今はイチイチつらい。
毎日がイチイチ苦しい。
なんで?どうして?
私だったらこうするのに…
きっと私は下で働くのは向いていない。
昔から結局運営側。
人を動かすのが好きなんだろうと思う。
だからこそ、今の立場がキツイ。
もっともっと、勉強しなきゃいけない。
その道のプロにならなくてはいけない。
そこで初めて、人に色々なことを言えるんだ。
じゃあ、私は勉強してるか?
工夫しているか?
計画的に動いているか?
答えは、
「足りない」
だ。
足りない。まだまだ足りない。
自分のふがいなさに、涙が出るくらい。
思わず人のせいにしたくなるくらい。
人の上に立つのであれば、
人に振り回されてはいけない。
こちらがコントロールしていかなきゃ。
もちろん、下の方で仕事している人に揶揄されることも、嫌がらせを受けることだってあるだろう。
なぜなら、それが彼等なりの「あなたは私より仕事ができますよ」サインなのだから。
彼等は前に行く人の足を引っ張る。
なぜなら、前に行って欲しくないから。
自分の財産は、隠そうとする。
なぜなら、自分より上手くやられたらこまるから。
自分が上手くいかないのを、人のせいにして生きていくのなんかまっぴらだ。
私は上を向いて生きていきたい。
キラキラしていたい。
もっともっと、説得力のある人間になりたい。
人を包み込む、あったかい人になりたい。
思わず声をかけたくなる、そんな人になりたい。
パワーが足りない。
最近の私は、人のイライラや悪口に負けて、自分まで嫌な人間になってしまっている。
人の気持ちを考えているふりをしている偽善者だ。
口だけ馬鹿野郎だ。
おしゃべりクソ野郎だ。
変換。切り替え。
外に出よう。
外に出て、考えよう。
私なら、乗り越えられる。
大丈夫。
全て上手くいく。
うん。大丈夫。
深呼吸して、一つ大きな伸びをして、一歩前に踏み出そう。
今もこうして、「考えられている」ことに感謝しよう。