
面白い小説や漫画を読んでいて、続きが気になって寝付けなくなる事は稀にあるけれど、人様のブログを読み漁っていて眠れなくなるのは珍しい。この前、翌朝7時起きだというに朝4時半まで眠れなくなった原因は、首骨の痛みと、ピースの又吉さん(画像)のブログだった。最初は首が痛いので寝付けない感じだったのが、ふと眠くなるまで又吉さんの過去ブログを読んでみようと思ったのが間違いだった。面白くて逆に眠れなくなった。彼の日記は、ブログというよりはエッセイに近い感じなのだ。読書好きなだけあって文章力があり、個性的な言葉選びと物事を見る観点には感嘆させられ、本人の佇まいと同じく静かな文脈なのに声を出して笑える部分もある。
私はテレビ番組をコンスタントに見る習慣がないので、ピースのことも又吉さんのことも顔と名前位しか知らなかった。覚えているといえば去年のキングオブコントに出場していた時に、又吉さんの紹介映像で図書室のような本だらけの部屋と、明治の文豪のように茶色か紺色の渋い浴衣を自室で着ている姿で、夏の日陰のようにひっそりした雰囲気はお笑い芸人という職業のイメージとは少し違っていて、「なんだか異色な人だな」と思った事くらいだった。オシャレな芸人1位に選ばれたとか、老け顔や死神に似てるとか言われてる顔立ちが実際は整っていて、女性ファンからイケメンだと騒がれてるとか、そういう情報は割かしどうでもいい。
それが急にブログを検索して読むほど興味をそそられたのは、youtubeで何故かピースが出演しているトーク番組の動画で、「人から変わってると思われるのが嫌で、これでも大分変わったことをしたくなる衝動を我慢しながら生きてるんですけどね。例えば、広い道に行くと思いっきり走りたくなるけど、僕が急に走り出したら一緒に歩いてる人は『ええ!?』ってなるじゃないですか。だから、我慢しながら普通に歩いてる。でも、最近仲間内で流行ってる遊びは、通行人の魂をすれ違いざまに吸うっていう遊びで…」などという異色の死神トークを展開しているのを見て、「これでも我慢して普通の人を演じてる時があるのか」という笑撃。そして、ここまでじゃないけど私もそういう時は結構あるな、という共感。
それから、別の動画で大喜利をやっていた時に、咄嗟に考えついた答えが言葉遊びのセンスが良くて秀逸だった事。(うろ覚えだけど、確か「腹違い」「翔(しょう)」「相撲」の単語をつなげて面白い文章を作れ、というお題で、数秒考えてから真顔で「腹違いの兄弟に無理やり相撲をとらせる残酷なショー」と答えたのだった。)気づいたらその手でブログを検索していた。
で、寝付けなくなった一因に、又吉さんのブログの中のある部分に凄く共感して、日常的にモヤモヤ考えていた事がとても解りやすい文章になっている事に対する一種の爽快感に、私の神経が荒ぶった事もある。思わずツイッターにつぶやいてしまった程だったんだけど、自分のメモ代わりにその部分を引用させてもらおもうと思う。
簡単な事なのに相対的に物事を見ずに目の前の現象だけで価値を判断してしまうのは何故だろう。『人には各々美点があって人間はそこを見るべき』という僕の小学三年生時代の担任の言葉は綺麗事だったのか?目の前のパフォーマンス至上主義ならば、薬物で世界記録を叩き出した人間はどうなるのだろう?僕は薬物を使用した事実を知らなかったら馬鹿みたいに感動してしまうだろう。その走りに不健康な精神は恐らく投影されないだろう。大会前に家庭の事情でトレーニングが全く出来なかった選手の都合など知らずに僕は鈍い選手の動きを糾弾するだろう。試合前に子犬を助けたばかりに足を挫いたランナーの走りから僕はそのランナーの健全な心を感知することなど出来ず、調整に失敗した選手の怠慢な姿勢を揶揄するだろう。極論かもしれない。でも、そんなことは腐る程ある。当事者以外は誰にも何も解らないのだ。でも、それでも色々な可能性は人間ならば想像出来るにもかかわらず、想像しないのはなぜだろう。あらゆる事をパターン化して型に落とし込む悪い癖がついてしまっているからだ。そうすることで思考は止まらずに、早く答えに辿り着いたと安心し生活を滞りなく送ることができるからだ。多少の利便性は認めるが、きめが粗過ぎやしないか。
私はこれと同じような事をよく考えさせられていた。実際の事は当事者にしか解らないのに、自分の視野に入ってきた情報のみで他人の人生や人格を決めつけ批評したがる人はあまりに多く、その想像力の低さや冷たさには驚かされてきた。冷たさというのは、他人を狭い視野で見てすぐ断定したがる人というのは、まずは他人に対して否定(ネガティブな想像)を念頭に置いて、批判的に考える人が多いからだ。相対的に他人や物事を考えて、自分が知らない部分に対する想像の余地、余白を残しておこうという心の余裕がない。なんでも結論づけたがる。そして、自分が他人よりも上に立ちたがる。もっと他人のことを、自然現象のことのように自然に受け止められないものかと、いつも不思議に思う。
だから私は他人のことは大体、大自然の一部だと思って見るふしがある。だからどうでもいいわけではないけれど、人目や他人の言動、批判や悪口をあまり深く気に留め続ける事がないので、完全に他人に興味がないと勘違いされがちで、やや心外だ。自分では、「嫌い」だと「錯覚」している他人の批判を延々と語り尽くすような日々よりは、良い生き方だと思っているのだが。自然現象と同じように、美点も汚点もまるきりない人間なんていない。
又吉さんの話に戻すと、もの凄く読書家で、面白い本が好きすぎてたまにその本を喰いたくなるほどの衝動があるほどらしい。ひょっとすると親が赤ちゃんのお尻に、人が恋人の唇や胸に、食らいつきたくなる衝動と似てるのかもしれない。それで、又吉さんは誕生日に墓参りするほど太宰治が好きで、定期的に「太宰治ナイト」なるイベントを開催してるらしいんだけど、詳細は知らない。タイトルだけで少し面白い。太宰治ナイト。そして今、ナイトって打ったら予測変換にチェスのナイト♘(馬)の絵文字が出てきてびっくりした。これ見れるのってMaのみ?
人間失格じゃないと♘♞
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