
表面的な友情
表面的な交友
表面的な会話
表面的な作品
表面的な見方
表面的な意見
表面的な賛辞
表面的な恋愛
表面的な批判
表面的な行為
表面的な芸術
表面的な表現
表面的な
そういうのが溢れてて
この世は私にとって非常に窮屈に感じる事がある。
いくら屁理屈や多くの策略で覆い隠しても偽物は
その軽さからいつか見破られる。
人間の内側から自然と溢れ出てくるもの、
心にずしっと重みを感じるような
本物にしか興味がないし、
本物しか人に与えたくない。
話は変わってまた女王蜂アヴちゃんの話…。
見てて良い事言うなって感心したり
共感できるインタビューが多いんだけど、
読んでて「す…好きだぁあああアヴちゃん!」と思った部分抜粋。
自分の人生に責任をもってますね。自分の人生を誰かに生きてほしかった時期があったかもしれない。そのほうが楽でしょ? 誰かになるほうがきっと楽だと思います。自分を生きるよりもね。誰かと同じ服を着て、同じメイクをして、同じ言動、口癖、キャラをまとうことはできるかもしれないけど、それを昇華して自分でなければ作れないものを生むことが大事で。それを音楽やファッションに投影して、研磨していくべきだと思う。それが芸術のすばらしいところだと思います。
私達はタバコも吸ったことないし、お酒も飲んだことないし、ドラッグもやったことがなくて。“やっとことあるでしょ?”って言われるんだけど(笑)、メンバー全員やったことない。ドラッグに頼らなくても、私の場合はコスメとファッションと音楽と女王蜂があれば、自分のアートを表現できるので。だから女王蜂が“モンスター”とか“異端”とか言われることに対してとても不思議だなと思う。“正統じゃない?”って。私たちは“ストイックお嬢さんズ”ですよ。
孔雀が羽を広げている姿は、人間にはすごく美しく見えるけど、孔雀にとっては威嚇だったり、発情して交尾をするための行為、ただそれだけのもので。その感じが女王蜂の姿勢と似ているなと思ったの。やりたいことをただしているだけなのに、外から見たらすごく計算されてやっているように見えたり、業が深いものに見えたりする。でも、どんなふうに捉えてもらってもいいの。それがエンターテイメントだから。
この方は18歳やそこらで既に自己確立してますね。完璧に。正々堂々と。
そして批判に近い言葉も全くイヤミじゃないのが、大人よりも大人だと思う。
上に書いたような、表面的な人による「上ずった他人批判」
ようするに自己擁護や自己正当化のための言葉っていうのは、
大概イヤミっぽく薄っぺらなものだと思うんですよね。人生経験上。
私にとってそういう言葉の羅列は不快でしかないんだけど、
アヴちゃんの批判、批評にはそれを全く感じない。
20代でも30代でもそれ以上の大人でも、
それができない人は沢山いるというのに。
最高じゃないか。かっこいいな。
私って人間の魅力、かっこよさ、かわいさは、こういう部分にしか感じないww
それこそ表面的な外見なんてのは
人の評価に関してどうでもいい部分だと思ってるけど、
ただ飾ったりごまかすための器だけじゃなく
人の内面から溢れ出してファッションや表情に反映されてる人間性は、
表面的なものじゃなくその人そのものだから、一番大切だとも思う。
結局何が言いたかったのかよくわかりませんが
人間の表面と内面について書きたかったのかな。
(リアルタイム更新)