
「器小さいなぁ」と日頃自分が思うような人間にはなりたくない…。
難しいけどね。
チョキチョキモデルの三科君のブログ、よく拝見してますが、
その中で一番「ほんとにそうだな」と思ったのを引用すると
他人の文句を言う人は、結局その人に期待を含めて依存しているんだ、と思います。
自分がどんな行動をするかが問題であり、
他人の言動なんて雨風と同じで、そういうものでしかないと思います。
という言葉。
誰の言葉かは書いてなかったけど、激しく同意。
私は完全に、人は人で、自分は自分という価値観。
あの人がこうだからこうする、自分と人を同一視する、
憧れてその人みたいになりたいから真似する、という感覚も全然ない。
どうせ人生で目指すのなら他人の幻影じゃなく、
自分自身の完成形を目指したい。
それこそ「他人」の行動は殆ど自然現象のようにも感じるし、
悪い意味で執着して観察したり、批判や悪口を意に介す事もない。
そもそも「よく知らない人」にそこまで興味がない。
好意を感じる人物に関しては好意と興味しかないんだけど…。
だからか、自分が興味がない人に対しては
冷徹なほど無関心に見えるらしく
(そうなったのにも成長過程で自分なりの理由が色々とあるんだけど、
それこそ他人には解るまい。)
「人の目(意見)を気にしなそうに見える」
とか悪い意味で言われる事もあるけど(苦笑)
何でもかんでも他人ごとで関心ないってスタンスではなくて、
雨風と同じように受け流すべき事と
しっかり受け止めて見て考えるべき事の違いは、
自分で判断しながら生きてるつもりでございます。
なんだかんだ人に文句つけて生きたところで、何も変わらないので。
寧ろ気づかぬうちに人生が悪い方に進んでいく事すらあると思う。
人の事なんかよりもまず、
自分がどういう考えを持ちどう生きるかが一番重要であり、
一番の課題であるとも思います。。
坂本龍馬の
「世の中の人は何とも云わば云え 我が成すこと我のみぞ知る」
という句が好きなのもそういう事かな。
色々な経験を通して達観したり悟る事も多いけれども…
自分ではそこそこ度量広い方だと思ってるけど、まだまだ。
死ぬまでには海くらいの広さくらいにいっときたいなぁ。
相手がどんな人間でも心中理解しようとし、
威厳は保ちつつ、必要な時は許せないような行いも許して
抱擁できるくらいの人間になりたい。かなり難しい。が。
…海といえば今年の夏、海に行ったけど海水浴はできなくて残念だった。
ふと以前撮影した海の写真を見て想いを馳せる。
やっぱり山より海派。

沖縄の海の前で。セーター着てるのは冬だったから。

夕暮れ。

数年前の海キャンプ。犬のようにかけ出した無邪気な帝。

KKが枝拾って描いた、いぬ。

沖縄は透明度高い。
(リアルタイム更新)