私の父には身体障がいがある。その分、いろんな

苦労を重ねてきた。そんな父には驚くべき一面が

あって、時折、信じられないような力を発揮する。

 

最近なら父は近所の新聞配達所のキャンペーンで、

大相撲の1人の力士の勝敗を3場所連続で当てて、

ファーファという柔軟剤を3回連続で頂いたことが

ある。父は柔軟剤王だ。

 

そんな父が、今からずいぶん前に、懸賞に当たり

まくっていた時期があった。うちは父子家庭

だったから、いろんな面でゆとりがなく、

生活も苦しかった。そういう状況で父が懸賞に

どんどん当たるものだから、私と兄弟は

「お母さんが天国からうちにいろんな贈り物を

してくれているのかも知れない」と話していた。

 

ある時、父がキットカットの赤いマウンテンバイク

の懸賞に応募した。珍しい赤いマウンテンバイクは

「2名様に当たる」ことになっていた。こんな

カッコ良い自転車があれば嬉しいけれど、2名様は

狭き関門である。この懸賞には当たらないだろうと

思っていた。

 

後日、うちに赤いマウンテンバイクが届いた。

いくらなんでも父は懸賞に当たり過ぎで、

ちょっと怖い気もした。天国にいる母と神様に

感謝して、この赤いマウンテンバイクに私が

乗ることになった。

 

このマウンテンバイクは軽くて乗りやすくて、

急ブレーキをかけると私が前方にクルリと

転ぶようなこともあったのだが、私はこの

自転車を気に入っていた。ところが・・。

 

私が赤いマウンテンバイクに乗り始めてから

1ヶ月ぐらいした時点で、この自転車は

盗難に遭ってしまった。無理もない。

この赤いマウンテンバイクには、それだけ

魅力があったからだ。おそらく、あの自転車

と“再会”することはできないだろうと思った。

 

少ししてから、うちの裏に住んでいた

1つ年上の男の先輩が、赤いマウンテンバイクに

乗っているのを見かけた。彼が通る度に

私はその自転車をよく見たのだが、やはり

うちにあった物だった。私が兄弟や父に

そのことを話すと、父は「あのマウンテン

バイクのことはもう忘れよう。あの先輩が

盗んだとは思ってはいけない」と私に言った。

 

その先輩が引っ越しをした。理由はわからない。

それからすぐに、その先輩の友人のB君が私の元に

来た。B君は私に「引っ越した先輩は、君の

赤いマウンテンバイクに勝手に乗っていた。

そのことを彼はずっと悔やんでいたよ」と

教えてくれた。あの赤い自転車を失った

私の気持ちは、少し和らいだ。

 

この赤いマウンテンバイクのことを、今頃

急に思い出したのには理由がある。先日の

読売新聞の朝刊に、大学の准教授になった

B君の記事が載っていたからである。B君は

立派な学者になっていた。B君が先輩の心情を

私に教えてくれなかったら、今でも私は

キットカットを見る度に、あの赤いマウンテン

バイクのことを思い出して、悲しい気持ちに

なっていただろう。B君にありがとう。