「食べるぅ?」
 子供モグラは、口の中からシャブリかけの飴を出して、オレに差し出してきた。
 「うん。いらない。」
 そう答えると、彼は再び自分の口の中に飴を戻し、
 「ふぅーん・・・変なのぉ。」
 と言って口をもごもごさせ始めた。そして何をするわけでもなく、その場にボーっと突っ立っていた。その佇まいに何の知性も感じることは出来ず、知らないモグラの子ながら心配になるほどだった。この子は、ちゃんと学校で教育を受けているのだろうか。そもそもモグラに学校があるのかは分からないが、もしあるとして、苛められたりしてはいないだろうか。
 「学校は、どう?」
 「んー・・・・普通」
 「そう。普通か・・・普通はいいよね。」
 「・・・」
 「普通ね・・・うん。悪くないね」
 子供モグラの後ろの方から味噌汁の匂いがしてきた。お母さんモグラが料理でもしてるんだろうか。その匂いにつられるようにオレの腹がなった。少し気恥ずかしくなって子供モグラを見ると、また口の中から小さくなった飴を出し、「ん」って言って差し出してきた。
 「いや、あの。それはいらないよ。」
 「ふぅーん・・・変なのぉ。」
 子供モグラは、再び飴を舐め始め、それからズボンの尻ポケットをゴソゴソし、包装された新しい飴を取り出し、口に入れた。
 「・・・新しいのあるんじゃん・・・」
 オレはハッキリと口に出したのだが、子供モグラはアホみたいな表情で二個の飴玉を口内で転がすばかりだった。
 「こら!ヒトが起きたら声かけなって言ったろ!!」
 オバサンモグラが料理を載せたボンを持って、奥の間から現れた。子供モグラは、口の中から飴を出し、「ん」ってオバサンモグラに差し出した。
 「いらないよそんなモン!!もう良いからさっさと出ていきな!!」
 と、片手を挙げオバサンモグラが威嚇すると、子供モグラはオバサンモグラの脇をシュッとすり抜けると、そのまま何処かへ去っていった。
 「まったくもう。最近の子供モグラは・・・ねぇ?」
 「あ、はい・・・あの・・・あの子は?」
 「え?知らない子だよ。お腹すいてるだろ?簡単なモノで悪いけど、食べな。」
 ボンの上には、卵焼き・オニギリ・焼いたソーセージが盛られた皿と、豆腐とお揚げの味噌汁の椀があった。
 塩味の聞いたオニギリに甘く味付けされた卵焼きがよく合う。いい具合に焦げ目のついたソーセージは香ばしく、湯気を立てる味噌汁が胃の中に優しく染み込んでいく。いつ以来だろう。こんな人間らしい食事をしたのは。魂凍るお洒落地下街で、まさかこんな優しさに出会えるとは。気がついたらオレはがっつく様にそれらを食べていた。それほど飢えていたいたのだ。体が。いや、それ以上に、心が!!
 「ビックリしたわよ。あなた、ヌードルの前で倒れてるんだもの・・・」
 「ヌードル・・・そういえば・・・」
 「昔はそうでもなかったんだけど、今はねぇ・・・どこもかしこも・・・」
 そう言ってオバサンモグラは深いため息をついた。お腹が満たされて落ち着いた心地で見て気づいたことには、襖の向こうは調理場がありカウンターがあり、テーブル席があり古いテレビがあり、どうやらここは飲食店のようであった。
 「今も営業時間なんだけどね。笑っちゃうわよね。お客なんて一人も来やしないのよ・・・」
 店舗内に降り立ってみると、油気を帯びた床がネトッとするのを感じた。イスもテーブルもタバコのヤニをたっぷり染み込んで変色をしており、テレビ台の下が本棚になってあって、そこにはボロボロになった漫画雑誌が乱雑に突っ込んであった。一冊とってみると表紙が土山しげる先生の絵だった。
 「少し前は、どこもうちみたいなお店ばっかりだったのよ。」
 つっかけを履いたオバサンモグラが自嘲気味に笑いながら調理場へ降り立った。
 「ある日、男のヒトがこの地下街に来たの。胡散臭い男でさ、その男、こんな言い方じゃ伝わんないとは思うけど・・・横顔が無いのよ。」
 「横顔が無い?」
 「平べったいとか、顔の横に別の顔がついているとか、そういうんじゃないの。ただ、横顔が無いの・・・」
 「はぁ・・・」
 
・・・オバサンモグラが話すことには、その横顔のない男が地下街に降り立ち、不動産業を営み始めたころくらいから街の雰囲気がみるみる変わっていったのだそうだ。その男は「みんなでニコニコお洒落なタウン☆モグラ地下街」構想を掲げ、商店街組合や主婦に取り入り、毎日毎日朝から晩まで彼方此方に営業やプレゼンを行いに行き、何足も何足も靴をすり減らし、地域のイベントにも積極的に参加し、お年寄りに声をかけ子供たちを見守り、そんな風にして少しづつ信頼を得て、誠実に身を粉にして、雨にも負けず晴れにも負けずに働き続けたのだそうな。
 その甲斐があってか、少しづつ男の掲げる構想に賛同するものが増えだし、気がついたらモグラ地下街が素敵お洒落タウンに成り果ててしまったのだそうだ。なんと恐ろしい男なのだろうか。
 「うちにもさ、ウドン屋なんか止めてヌードルにしなよってしつこいんだよ。でもね、ウドン屋がヌードルになってどうするんだよ。うちみたいな小汚いウドン屋がなくなってしまったら、この地下街は本当にお洒落地下街になってしまうじゃないか!!そうだろ!!?」
 途中から感極まって、目に涙さえ浮びながら話すオバサンモグラの姿に、オレは、少し引いた。街がお洒落になるのは悪いことじゃないし、もっと言えばオレは正直ウドンをそこまで愛しているわけではない。強いて言うならラーメン派だ。でも、助けてくれた恩人の気持をムゲにするわけにもいかず、話をあわせるために
 「なんにせよ、酷い奴っすね。その横顔の無い男って。」
 「いや、それがアレはアレで良い男なのよ。」
 なんて返ってくるのでアヒャーンってなった。
 「いつも笑顔を絶やさない男でさ、あ、でも一回だけ酔った時にね、『石橋だけは絶対に許さない』って言ってたわね。あの男がそう言うんだから、そうとう怒ってるのね。石橋ってヒトに。あ、そう言えばあなた、名前聞いてなかったわね。」
 一瞬ドキっとしたけれども、オレの知り合いは皆横顔のある奴ばかりだし、「石橋」は別にオレだけじゃなく、世の中にゴマンといる。なので堂々と
 「あ、岩田です。岩田英明です。」
 と、母方の性を名乗っておいた。念には念をかけておくのにこしたことはなかろう。
 
 それからオバサンモグラの言うには、近々、お店をかけて横顔の無い男サイドの連中と「ウドン勝負」をするコトになったらしい。相手のお洒落ヌードルに勝つ究極のウドンを作るには、氷海岸でとれる氷昆布でダシをとる必要があるのだそうだ。その氷海岸へ氷昆布をとりに行きたいのだけれども、
 「オバちゃんリウマチでねぇ・・・遠出は出来ないのよぉ・・・」
 なんて言いながら、こちらをチラチラ見てくることから察して、自分では氷昆布をとりに行くことは出来ないのだろう。誰か親切なヒトないしモグラが現れてオバチャンの換わりに昆布をとりにいってくれるといいが・・・ 
 オバチャンの話によると、件の氷海岸へは、店の側を通っている電車で乗り換えなしでいけるらしい。氷昆布を使った汁が名物と聞いたので、オレは汁を飲みに、氷海岸へ向かうことにした。
 礼を言って店を出て、オレは新たな一歩を踏み出した。汁を目指して!!!!

                        第三章 氷昆布と双頭の猿へ続く