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気分:落ち着いてブログを書けるようになったのなら大安吉日。

 

新しい仕事を始めて早くも2ヶ月以上経っていた。

 

「気づいたら一瞬で一年過ぎてたんだよね。」

忘年会になるとみんなが口々に言う常套句がどうも苦手だった。

というよりあまり腑に落ちていなかった。

 

どれだけ忙しくても暇でも

一年のスピードが急激に早くなったりする感覚は私にはなかったから。

 

そんな丁寧なフリをしたうえで、言わせてもらいたい

「この2ヶ月は一瞬で過ぎてたんだよね」。

 

それくらい早かった。

それほどに早く過ぎた時間の中に

忘れるにはもったいないくらいの素敵な思い出があった。

 

そんなキラキラが過ぎて行く時間の濁流に飲み込まれて見失ってしまうのが

少しばかりもったいなくて再びこうして書いてみようと帰ってきた。

 

 

 

シャー芯を買った。

 

シャーペンの芯。芯というにはあまりにか細いあのシャー芯。

 

学生時代には当たり前のように使っていたのに、

社会人になるに連れて少しずつ疎遠になって、

気づけば10年くらい買っていなかった気がする。

 

新しい職場での研修が1ヶ月に2回くらいは行われているだのが、

それまではボールペンを使っていたメモを取っていた。

 

だけれど、何度も書き直すことになってしまって

何だか黒のぐしゃぐしゃで汚くなってしまっていたのが決まりが悪かった。

 

そんなわけでシャーペンで書くことにしてみたのだが、

引っ張り出したシャーペンもかれこ5年ぶりくらいのご登場。

 

カチッカチッとノックをしてみたのだけれど、

久しぶりの出番に緊張しているのか、なかなか芯も出てこない。

 

10回ほどノックをしてみるとようやくピョコっと顔を出す。

そして、落ちていった。わずか2㎝ほどの短い命。

 

5年も待ってくれていたのにお別れは呆気ないもので。

 

そこから何回ノックしても音沙汰はなくなってしまった。

家にあるシャー芯を探したのだけれど、見つからず。

 

そんなこんなでシャー芯を買うことになったのだが、

ふと中高生の時にシャー芯を買っていたときの記憶がフラッシュバックした。

 

たしか小学校高学年くらいだったときの教室での会話。

 

多くの小学生がHBのシャー芯を使っていた中、

「HBだと薄いから2Bの方が好きなんだよね。」と

そんなささやかなこだわりを持っていた癖のある子どもだった私。

 

友達に「2Bって濃いんだね!!!」言われた言葉をなぜか褒められたと勘違いして、

母がどこかに買い物に行く際に「なにか買ってくるものはない?」と言われた際に

「シャー芯!あ、2Bね!」とクセの強い注文をしていたころを思い出した。

 

ところが、母はHBのシャー芯を買ってきて、喧嘩になったこともセットで覚えている。

 

それくらい当時の私にとっては

「芯の濃さ」という些末な問題が人生にとって重要な問題だったのだ。

 

いまの私にとって「芯の濃さ」が人生の重要な問題ではない。

 

というよりも、多くのことが重要な問題でなくなってしまっている気がしている。

 

多くを経験してきたことで「これは知ってる。」「この感覚はあの時と同じようなものだ。」と

新鮮な感覚がなくなっていしまっているような気がしている。

 

ただ、その一つ一つはかけがえのない唯一の経験であり同じものなんて2度とない。

小学校の高学年で感じていた「シャー芯」への思いと、今感じる「シャー芯」への思いは全く違った。

 

私が勝手に「あれはもう知っている」と思い込んでいる

“過去の経験”も改めて体験してみれば全く違ったものに感じるかもしれない。

 

だからこそ新鮮に感情を味わい続けるためには

自分の過去の経験を思い出してその時の感情と照らし合わせることが大切なのだろう。

 

過去があるからこそ今を慈しむことができる。

 

あのときはどうだったかな。いまはどう思うんだろう。

 

だからこそあのときの感情を忘れないように

ブログを書くということもまた価値のあるものなのだろう。

 

本当に偶然ではあるけれど、

ブログを休止した3月31日と今日(6月8日)の最高気温と最低気温が一緒だった。

 

ブログを休むことにしたあの日の私も

今日のように穏やかな陽の元でブログを書いていたのだろう。

 

そうやって何度でもあの日の感覚に会いに行くことはできる。

忘れないように無くさないように大切な思い出を繋いで紡いで。