幸せになる方法4 ~side キョーコ~
「…………………」
「…………………」
何を、言われているんだろう?
言葉が、心の表側を滑っていくような感覚。
素直に受け止めたのなら、それはそれは天にも昇るほどの喜びに変わるだろう言葉。
けれど…。
間違えてはいけない。
過去にした同じ過ちを繰り返してはいけない。
アイツに言われた言葉を、勝手に解釈して間違った思いを持ったあの苦い経験を…。
頭の中に再現される消してしまいたい苦い記憶。
「あ…いや、その……。現実的に言えば無理なのは分かっているよ?でも、俺としてはそれくらい望んでいるんだってことを知っておいてほしくて」
「…………………」
ほら、やっぱり。
分かってる。敦賀さんが言っているのは現実の話じゃなくて、たとえば、っていうこと。
忙しくて食事に気を回すことができないから、食事に口を出す私が作れるときに作っておいてくれれば助かる、っていう気を回した言葉。
そもそも、敦賀さんはただでさえ忙しい人なんだし、私に合わせて会う時間だって本当は無いに等しいはず。有能マネージャーの社さんが、この食生活の乱れを少しでも軽減したいし、体調コントロールも仕事のうち、って私に食事を作ってほしいと依頼してくれてるからこの状況は成り立っているだけ。
そんな私たちが、一緒にご飯を食べるなんて。
敦賀さんがリクエストしてくれるものを毎日作るだなんて夢のようなことが実現するとは思えない。
でも、夢にみることはしてもいいだろうか。
期待に繋がってしまう思いだから、夢に留めておくけれど。
だって、私は……
「俺、食事に本当に無頓着だから。俺のために作ってくれる料理のおいしさなんて、君が作ってくれるまでは分からなかったし」
呆然とする私に気づいてか、敦賀さんは優しい顔で自分の 『食』 に対する考え方を教えてくれる。
本当は誰が作っても、おいしい、と思って食べてくれるだろう敦賀さんの言葉は、自分に向けての言葉と勘違いするくらいに甘い。
「それに、一人の食事って、時々すごく寂しいんだ。別に大人数で食べることを望んでいるわけではないけれど…。その。一緒にいて楽しいな、と思える人と食べると、美味しく感じるものだろう?」
まるで、甘い毒のように。勘違いして、受け入れてしまいそうなくらいに、蠱惑的な言葉を並べられて、その誘惑に心が揺らぐ。
一緒にいて食べることが、食事の美味しさに繋がる関係。
そんなことを言われたら、誰でも勘違いしてしまうだろう。
「も、最上さん……?」
「…………………」
だって、これまでに自分は経験している。
今となっては苦い思い出でしかないけれど、アイツに心が向かっていた時に、一緒に笑って食べた食事もそうだった。
そして、そのことを何倍も上回る幸せを感じられる敦賀さんとの食事。
食の細い敦賀さんが、なぜか自分が作った食事を普通に食べてくれる不思議とともに、 『おいしい』 って笑ってくれる瞬間が自分のなかでかけがえのない幸せな時間になっている。
でもそれは私の一方通行な思いが生み出す関係であって、敦賀さんが言う相手は私じゃない。
そう、私じゃないんだ。ただの後輩の私がそんなおこがましいことを思ってはいけない。
「……それは……どういう、意味ですか………?」
「え……?」
思ってはいけないと警鐘が頭に鳴り響く。
だけど……!
「どういう、意味ですか……?」
「?どういう、意味って……」
確かめずにはいられなかった。否定されないと、このまま勘違いして、この優しい先輩を気遣わせてしまう。
間違った思いは、迷惑にしかならないだろうから。
お願い、否定して。
そう思った瞬間、 『本当に?』 と囁く別の私が顔を出した。
「俺は、君の作ってくれる料理が大好きだよ」
「…………………」
ああ、そうなんだわ。私、じゃなくて私の作った料理が…。
そう思うとさっきから緩んでいる涙腺がさらに緩んできて、それを留めるのに必死になる。その抵抗をあざ笑うように、別の自分が再び投げかけてきた。 『否定されたいの?』 と。
…ちがう、そうじゃない!本当は…本当は!
「君と一緒に食べるご飯はとてもおいしい。君が美味しそうに食べる姿を見ると、とても幸せな気持ちになる。君と分け合いながら食べるご飯は暖かな気持ちになる」
「…………………」
…………本当は、そう言ってほしかったの。
「君が、俺の家のキッチンに立って軽快な音を響かせながら野菜を切っている姿を見ると、幸せだと思う。玄関を開けた瞬間に漂ってくるシチューやお味噌汁の香りに気持ちが安らぐ」
この家を、安らげる場所にしたかった。帰ってきたときに、美味しいごはんの香りでその疲れを癒せるように食事を準備して…。。
欲を言うなら、私がここにいなくても、色々な調理道具がそろったこの家のキッチンを見て、私の気配を少しでも感じてくれるならどれほどしあわせだろう。
でも、本当は心の奥では思っていた。安らげる場所を提供するだけじゃなくて、『おかえりなさい、お疲れさま』 って言いながら、笑顔を向けられる存在になりたかった。
特別な、存在になりたかった…。
あふれる想いに、涙が止め処なく流れていく。
「泣かないで、最上さん………」
泣きたいわけじゃないのに。
想いが、あふれて止まらない。
「どうして泣くの?……俺の想いは、重たかった?」
「…………っ!!」
違うのに!重たいのは私の方なのに!!
思考の鈍った頭は涙を止めることを忘れ、拭うこともできないままこぼれ落ちていく。その涙を心配した敦賀さんの手が、そっ、と頬に延ばされたのを見て、思わずフルフルと顔を横に振った。
「最上さん……?」
怪訝そうな敦賀さんの言葉に、言葉を発するより先に体が動いていた。
拭ってほしくなかった。最初は、辛くて流れそうになっていた涙だったのに、流れ出した時には幸せすぎてこぼれ落ちていったから。
受け止めてほしい想いとともに、私は敦賀さんの広い胸に向けて飛び込んでいった。
ななちさんのside蓮(5)につづく…