1.わが日本国憲法第9条は、その第1項で永久に戦争を放棄すること、

 第2項で戦力(軍事力)の不保持と交戦権の否認を全世界に向かって高

 らかに宣言し、平和国家としての模範となることを希求している。

  このような徹底した平和主義を掲げる憲法は世界的にも類例はなく、かの世界に冠たる永世中立国であるスイス憲法ですらも、相当の軍事力の保持を容認しているのである。



2.そこで、わが憲法の解釈上も第9条は国家の自衛権の発動たる自衛戦争までは否定しておらず、その自衛戦争の為の軍備は保有できるという全く馬鹿げた主張(政府解釈を含めて)が横行し、その結果として一切の軍備を保持しない筈の日本国が警察予備隊から保安隊、更には今日の自衛隊へと再軍備による軍事力を増強するに至っていることは誠に残念な事であり、これこそが国策を誤った「解釈改憲」であることは明らかと言えます。

  今、安部内閣は、これまでの「解釈改憲」を更に拡張し、自衛隊の活動範囲を自衛戦争の枠を越えて拡げる「集団的自衛権」までもが憲法の容認するところであるとして、その関連法案を国会で通そうと必死になっています。しかし、さすがに、この「解釈改憲」は自衛戦争を認める立場からですら違憲の批判を浴びており、解釈の限界を越えた明白な違憲立法と言わなければなりません。



3.このように、戦前の国策の誤り(無謀な戦争)に続く戦後の度重なる国策の誤り(解釈改憲)により、冒頭に述べた憲法第9条の人類的な理想は風雨に晒されてはいるが、この70年間、日本が他国と戦争をせず、一発の銃弾も発射することなく平和を維持できたのは、やはり憲法第9条の存在の大きさを示すものであって、私達は更に実質的に、これを世界に誇れるものにする努力を続けて行こうではありませんか。

                             

 以   上






1.憲法第9条を厳格に解釈して、わが日本国には「自衛隊」も「米軍基地」も必要ないと主張すると、軍備必要論者から必ず出てくる批判が「では、どうやって国を守るのか!!」という反論であるが、この反論こそは今日では全く時代錯誤的なものであり、取るに足りないものと考える。

  なぜなら19世紀以前の弱肉強食の植民地主義時代ならいざ知らず、今日の成熟した国際文明社会において、何の軍事力も保持しない無防備な国に対して、一方的に武力攻撃を仕掛けてくるという事態が、そもそも想定し難いからである。



2.もし今日、このような事態を生ぜしめるような野蛮な国(これ以上の形容の言葉はない!!)が発生したとすれば、これは一方的な「侵略」行為と認定されるのは確実であるから、それこそ国連を含め世界中の良心的な国々から一斉に袋叩きに遭い、その侵略国自体が亡国への運命を辿ることは必定となるであろう。

  実は、このような実例こそが外ならぬ我が日本国の70年前の姿なのである。当時、日本は国際連盟を脱退して国際的に孤立化の道を歩み、隣国である中国や朝鮮を始めとして東南アジア諸国にまで一方的な侵略の手を伸ばして行った結果、太平洋戦争を誘発し、最終的には世界中を敵に回して無残な敗戦に至ったのである。

  この70年前の日本国の敗戦から得られた、もう一つの貴重な教訓は、当時、世界でも最大級の軍備(軍事力)を有していた国でさえも、最終的には日本という国家を守り切れなかったということである。



3.繰り返し言おう。国家の防衛の為に軍事力を持つことは無意味であり、逆に「有害」ですらあるとも言える。「有害」であることの意味は、必ず周辺国の疑心暗鬼を生み、それこそ際限のない軍備増強競争が生じ、その事が必ずや戦争への道を開くことになるからである。

                            以   上







1.現在、国会における安保法制の議論がなされている中で、将来の徴兵制の導入の有無が野党側から問われ、これに対して政府側は、一貫して徴兵制は「その意に反する苦役」を禁じた憲法第18条に反し認められないと答弁している。

  この一貫した政府見解は、昭和45年の高辻法制局長官及び中曽根防衛庁長官(いずれも当時)の国会答弁が初見と見受けられるが、憲法解釈としては、大きな違和感を感じられないでしょうか。





2.徴兵制とは、言うまでもなく国民に対する兵役強制であり兵役の義務を課するものであるが、それは実体的には国家の軍事力(陸海空軍)を充実強化するものであるから、端的に軍事力(戦力)の保持を禁じている憲法第9条違反と言えるのではないでしょうか。

  ここが問題であり、政府は故意に徴兵制は憲法第9条違反とは言わずに、何ら差し障りのない条項(第18条)を持ち出すことによって、巧妙に将来における徴兵制の導入を策していることは明らかと言えるでしょう。なぜなら憲法第18条は国民に対して「その意に反する苦役」を禁じてはいるが、祖国の防衛は国民としての当然の行為とも言えるものであるから、その意味で徴兵制は「その意に反する苦役」の強制に該当しないという解釈も十分に成り立ち得るからであります。

  そして、それは長年の間、認められてこなかった「集団的自衛権」に関する憲法解釈を、いとも簡単に覆す政府の下では、容易になし得る事と言わなければなりません。





3.国民の皆さん!!私達は、このような徴兵制に関する政府の怪しげな憲法解釈を、断じて許す訳には行きません。「徴兵制」は戦力の保持を禁じた憲法第9条によって許容されるものではないとの認識を、明確に持つべきであると考えます。

                            以   上









1、圧倒的多数の国民が反対する中で安全保障関連諸法案が衆議院を通過し、7月27日、参議院での審議が始まりましたが、非常に奇異な感じを受けるのは、これまでの国会での議論の中で日本国憲法が本来的に禁止している筈の「自衛隊」や「在日米軍」の存在そのものが当然の前提となっている事実です

  これら「違憲」の前提事実の存在こそが安保問題の議論を必要以上に複雑化し、かつ多数の矛盾点を露呈させているのではないでしょうか。


2、過去において、既に「自衛隊」と「在日米軍」の存在そのものについての違憲性が裁判上争われた実例があり、前者については長沼ナイキ訴訟における「福島判決」、後者については砂川訴訟における「伊達判決」で、何れも第一審判決ながら明確に憲法第9条違反であると断定する極めて当然とも言える判断がなされているのである。

  しかし、残念ながら、この二つの「歴史的」とも言える名判決が、何れも上級審である最高裁判所によって破棄され確定判決とならなかったというのも又、非常に不可思議な事と言わざるを得ません。それもその筈で「在日米軍」の違憲性が正面から問われていた前記砂川訴訟の最高裁判決(昭和34年12月16日)が下される以前に、時の最高裁のトップである長官が在日米軍関係者らと会談していたという驚愕的な事実が昨今判明し、これが問題の判決に影響を及ぼしたであろうことが、ほぼ明らかとなってきたからです。


3、このような司法におけるトップの破廉恥極まりない行動は、司法権の独立を自ら放棄し、日本国の独立国家としての挾持すらもかなぐり捨てるもので、到底許されるものではありません。

  これによって、憲法第9条の「正しい解釈」が、司法そのものによって歪められてきた事実も明らかになったと言えるでしょう。



                                         以   上

1.平成27年7月16日、 安倍内閣の提案にかかる安保関連諸法案は、衆義 院本会議において与党のみの賛成多数で強行採決されるに至ったが、何たる「暴挙」、「愚行」と言うべきか、国民の大多数が同様の驚きと怒りを感じておられる事と思います。

 思えば70年前、我が日本国が亡国寸前の状態(第2次世界大戦の敗戦)に 陥った時、軍事力では国家を守ることはできないという痛切な反省の上に立ち、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように「戦争」や「軍事力」を永久に放棄(憲法第9条)したのではなかったのでしょうか。


2.そのような痛切な反省も忘れ、しかも先の大戦において犠牲となった約300    万人の英霊の大半が未だ遺骨すら収集されず、沖縄を初め南洋方面の各島に放置されたままという状態(戦後処理の未完)での今回の「愚挙」は、唯々、これまで憲法第9条の趣旨が正しく理解されてこなかった結果とも言えるのではないでしょうか。

 すなわち、憲法第9条の解釈については様々に議論のあるところですが、最も

素直に解釈すれば一切の戦争(自衛戦争も含めて)と軍事力を放棄していることは明らかで、従って、現行憲法の下では、「自衛隊」の存在はもとより「在日米軍」の存在すらも許容されてはいないのです。それを「侵略戦争」は否定されるが「自衛戦争」は許容されていると言ったような明らかに間違った政府解釈を黙認してきたことが今回の事態を招いたとも言えるのです。


3.よって、今後は主権者たる「国民」としては、今回の違憲の法案を葬り去る為にも、憲法第9条の原点に立返り、自衛隊の縮小(改組)と安保条約の廃棄(これにより在日米軍存在の法的根拠が失われる)に向けて行動すべきではないでしょうか。


  読者諸君、諸君の御意見をお聞かせ下さい。


                                         以   上