俺はマイケルジャクソンを知った。これは英語で歌われる「洋楽」であり、差別を受けてきた黒い肌の人種による「ブラックミュージック」である。そのことを理解した。ユミはマイケルの追っかけになりコンサートはもちろん空港とかテレビ局なんてとこまで足を伸ばしてたんじゃないかな。俺は徐々にではあるが洋楽を聴く耳を持ち合わせていった。なんせ時は'80年代。ミュージックシーンは燃えていた。マイケルを初めにマドンナがいてシンディローパーがいて、A-HAがいてデュランデュランがいて、ブルーススプリングスティーンがいてフィルコリンズがいて、ホイットニーヒューストンがいてデヴィッドリーロスがいて...なんせとんでもなくカラフルなアクトでごった返した時代だった。





そんな時代に一本の深夜番組があった。それは当時の洋楽リスナーたちのバイブルだった。そもそもネットがない時代の話だ。そんな数少ない情報を気合いで掘って掘って掘り返したユミ世代の救いのプログラム。それがあの...「BEST HIT U.S.A.」である!そう、今復活してる小林勝也氏のアレである。俺は同番組をユミの横で眠たいのを我慢して観てたクチ。トラウマ的な衝撃を何度も受けてるねー。スリラーを初めて観たのもそうだったし、「WE ARE THE WORLD」とか観たのもそう。DEF JAM第一次黄金期のプロモビデオも目にしてるはずだが当時ユミはラップに否定的だったので俺もスルーしたね。なんせほら、弟的には姉ちゃん神だから。笑





ユミはマイケルとA-HAとデュランデュランには死ぬほどハマってた。その三組は追っかけしてたはず。だから俺も相当聴いたね。当時同じクラスに裕美と同じくらいの年の兄貴がいるヤツがいて、そいつとはいっつも洋楽の話してたね~。休み時間にマドンナの歌テキトーにホニャホニャ歌ったりしてたな。まぁ邦楽しか聴かないクラスメートたちを見下して楽しんでたんだろうね、子供なりに。選民意識っつーかさ。みんな洋楽を聴き始める理由なんてそんなもんじゃね?同じようにスイミングスクールで同い年のヤツがいて、そいつも離れた兄貴がいるもんでひたすら洋楽トーク。今はダブセンシマニアというダブバンドのボーカルをやってるね。スイミングのパイセンたちはマセてたなー今思えば。





そして俺も成長していく。小学校時代をサザンとチェッカーズとたまの洋楽で埋め尽くした俺が中学に上がる。その頃になると俺も思春期に入り意味もなく親に苛立ち、意味もなく一瞬の恋をするようになった。荒々しく猛る十代の血は新しい音楽を必要とした。そこで俺はさらに洋楽に入れ込むようになる...とはいかず、逆にブルーハーツやボウイやレピッシュやジュンスカなど日本のバンドにのめり込んでいった。ユミはすでに中学を出て高校時代をアメリカのウイスコンシンで過ごしていた。俺は姉を尊敬しつつも鵜呑みはいやだった。俺なりの、俺だけの価値観をこの手に掴みたかった。その「自我の芽生え」が俺に姉を追わせなかった。俺は洋楽から離れた生活を送っていたのだ。その頃だ。あのアルバムが出たのは。





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暑さに負けず続くよ。