マイケルジャクソン。思えば俺が人生で初めて認識した黒人の固有名詞だったかもしれない。そして初めて意識的に聴いた洋楽だったであろう。俺は尊敬する姉を心酔させたその男への興味を止められなかった。なんせあれほど入れあげたマッチをディスるほどの熱の入りっぷりである。俺はその魅力を知りたかった。姉の言動の理由が欲しかったのだ。どれだけのものなんだ、マイケルとやら?俺は彼を通して姉を理解したかったのかもしれない。そしてそれは俺が後にヒップホップに辿り着くまでの長い旅の始まりだったのだろう。





その頃音楽業界はプロモーションビデオという新たなツールの登場によりいわゆる「MTV世代」と呼ばれる視聴者たちを巻き込み激変を余儀なくされていた。シングル曲にはビデオが必要だという概念が海外では当たり前になり、アーティストたちは音源に魂を吹き込むだけではすまなくなった。カメラの前でどう振る舞えるかが重要性を帯びてきたのだ。より多角的に視聴者を楽しませる者だけがスターと呼ばれる資格を得る。そのように時代は変化していった。そしてその時代の風に世界一上手に乗ったのがマイケルだったのだろう。





彼はビデオ世代の申し子であった。ブラウン管に舞い降りた黒い肌の王子。彼が'82年に世に送り出した一本のプロモーションビデオは一晩で世界を変えてしまった。そのビデオはもちろん俺の幼い世界観をも軽々と一変させた。そう、「スリラー」である。このビデオは俺のマイケル原体験そのものであり、ブラックミュージック原体験でもあっただろう。今や定番であるあらゆる手法や撮影技術がこの文字通りモンスターなビデオを彩っていた。それはもはや短い映画であった。画(え)が音を引き立て、音が画を引き立て、煙が出そうな化学反応を起こしていた。





画面の中で歌い、踊り、演じ、一分の隙もないスターとして振る舞うマイケルに俺は揺れた。ホーンテッドマンションのようなゾンビたちの特殊メイクに手をかざしながらも指の隙間から彼を目で追うことをやめれなかった。なんだこれは?俺が普段見聞きしている「音楽」と呼ばれるものとそのビデオが放つ世界観は決定的に何かが違った。絶望的に、と言い換えてもいい。もちろんそれがなんなのか当時の俺にわかったはずもない。幼い俺の感受性はそれらを毛穴という毛穴から吸い込んだ。恐らくそれは「ファンク」という概念だっただろう。舞い踊るマイケルはまるで悪魔のように魅力的で、違う星から来たかのようにファンキーだった。





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続く!