俺達の中にはヒーローと近い人間がいた。トラはムロ君とつるんでたし、マッカは雷と馴染みだった。そして…次はハヂメだった。ある時期からハヂメはシャカのDJとして雇われることになったのだ。結果的にそれは後に大きな意味を持つこととなる。


ハヂメの働くスニーカー屋でダラ話をしてると時折シャカの二人が顔を出しに来たりしたもんだ。恐らく取材かなんかのついでだったのだろう、二人は当時爆発的に流行したスモーキーブランチ迷彩の軍服を上下でキメてサングラスに味付きの小枝をしゃぶって現れた。


シャカは他のさんぴんメンツと明らかに何かが違った。元々二人がパンクスだったこともあるのだろうか…なんだろ?うまく言えないけどストレートにヒップホップな人間にはない新しい軽やかさがあった。


歌詞世界も異様だった。特に活動初期は特に異常にフリーキー!何言ってんだかわかんないけど目茶苦茶カッコイイ!気になる歌詞っつーか。そしてすごく音楽的だった気がするな。ちゃんと「曲」になってるっつーか…。


独創的なツッチーのトラックにフリーキーなバースとストレートなフックが絡む。ライブ構成もスーパータイト。メンバーのキャラ立ちも申し分なく、シャカはシーンでも屈指の大人気グループだった。


それからは満場の客を狂わせるシャカを後ろから操るハヂメ、という図を頻繁に目にするようになる。おー、ハヂメがこんなにたくさんの人間を揺らしてる!スゲー!みたいな。シャカはハヂメに沢山の仕事を与えて、ハヂメはそれに答えた。


時にはハヂメと一緒に俺も呼ばれてシャカのサイドマイクを担うこともあった。そんな時は一曲自分の曲をやらせてもらえて、その時間が楽しみだったなー。パンパンの盛り上げる客相手にライブなんてなかなかできないからね。


そんなわけで俺達とシャカが打ち解けるのに大して時間はかからなかった。スタジオに遊びに行ったり、飯食わせてもらったり…あとは暇さえあればavexに出入りしまくったねー、仇のように!レコード会社なんて行ける身分じゃねーのに我が物顔!


ビジネス的にも勘の鋭いシャカの二人はこの頃原宿で「龍宮」というヒップホップ居酒屋をプロデュースしててなかなかの盛況だった。いつでもヒップホップ業界人が顔を出してたしね。そしてそこのバーテンがスイケンだったり、厨房がNight Camp Clickだったりと濃い店だった。


そんな日常の中で俺達がシャカにレコーディングに誘われるのは時間の問題だった。彼らはアルバム収録曲のリミックスをトラ、スイ、俺、マッカの四人にラップしてほしいと言ってきた。これが俺の初のスタジオレコーディングとなる「共に行こう version pure」である。


フックは原曲のままに、トラックとラップをまんま差し替えたリミックス曲。12インチが切られ、PVも作られた。撮影はさんぴんの一年後。ベルファーレで開かれたデブラージ主催の若手ライブショーケース「JACK THE RAPPER」の翌日行われた。


もちろん俺達もソロでそのイベントに出ていた。四人のほかにシモも出たね。そして夜中にイベントが終わって居酒屋で飯食ってそのまま静岡まで行って撮影…きつかったね~。でもこの曲のプロジェクトが俺達の周りに風を巻き起こしていくわけだよ。


シーンは俺達の顔を覚え始めた。トラとマッカはさんぴんでシーンにお披露目を済ませていたし、スイケンはデブラージが始めるレーベル「エルドラド」の第一弾アーティストとして話題をさらっていた。そのついでに俺もちゃっかり認知され始めた頃だねー。


徐々に俺達は渋谷の顔になっていった。ライブをして金を多少貰えることも増えてきた。しかし…やはり生活はそれほど変わらなかったわけよ。デビューを決めて金をゲットしたスイがシャカとゲーセンで豪遊するのを羨ましそうに見てたのは俺だ。


「俺もいつかは…」そんな気持ちで相変わらずヤサグレた生活を送っていた。その頃になると渋谷の夜の主役はケイブからハーレムへと移り変わる。小箱、中箱の時代は終わりを告げ、現在まで続く大箱全盛期が始まる。怒涛の90年代が終わりに近づいていた…。








いやーシャカだね~。残りのメンバー、今日も出てこなかったね~。しゃーないやん、大分はしょってもこの時期いろいろあんねんからさー。次は出てくるぞ、アレが。アレもウケる入りかたしてっかんな~。


まあ今回はシャカのフックアップがどれだけ後の俺達に影響を与えたかにフォーカスしたかったわけよ。あれで俺達を知ったひとが当時は多かったと思う。今思えばあの曲は俺達の人生の区切りになった気がする。


この頃にはヨウクンはラップをやめてたし、ケイはシンクタンクを始めてあまり俺達とつるまなくなっていた。その中で今まで続く繋がりが始めて「集団として」出した結果が「共に行こう」だった。でも俺は相変わらず人生に失望して拗ねていた。憂鬱を吹き飛ばす嵐が来るのはまだ少し先のこと。


以下次号!