俺たちはヒップホップに夢中になった。その価値観に完全に酔いしれていた。それはあたかも独立国家のごとく俺たちの意識をタイトにしたもんだ。その当時の日本語ラップを聴いてみるといい。多かれ少なかれその詩世界は現代社会に対する反抗や反動を高らかに宣言するものであったはずだ。もっとスローに行こうぜ、原始のリズムを思い出すんだ、と。今思えばそれはバブルに対する反動だったのかもしれない。ハイテクに溺れて人間的な何かを忘れるなというメッセージを俺たちは「アナログ文化」とすり合わせて発信していたはずだ。それが90年代のBボーイ美学だった。この頃のヒップホップはその文化丸ごと全てが過去に対するオマージュとしても機能するものでもあった。トラック、ラップ、スクラッチとあらゆる側面で「過去の遺産を現代にフレッシュによみがえらせる」という使命感をBボーイなら誰もがごく自然に持っていた時代だった。それが普通であり、当たり前にカッコイイことだった。




俺たちはアナログでありながら文化的に最先端だった。CD文化がとっくに浸透し切ったその時代に、シスコやマンハッタンのレコード袋を持って街を歩くことがクールなことだと若者に認識させた。アナログレコードをカセットテープに落として弁当箱のようなルックスのSONY SPORTSやそれを真似た安物のCOBYのヘッドフォンステレオで楽しんだ。さらに鼻息の荒いカブキモノたちはバカでかいラジカセを大音量で流しながら街を闊歩していた。それは人々の目には滑稽に映ったかもしれない、しかし俺たちは大マジだった。このライフスタイルのまま生きて死にたいとBな輩(ガリヤにピース)誰もが思ったものだ。面白かったのは日本のパナソニックが発表したSHOCK WAVEだ。それはBボーイのマストだった弁当箱ヘッドフォンステレオのアップデート版で、いかついタフなルックスとヘッドフォンがベースに合わせて震えるギミックで爆発的なヒット商品となった。要するにミニマムでないことがクールだと時代が認めたのだ。宇田川町は燃えていた。このままこの炎は消えることがないと誰もが思っていた。だが、やはり時代は変わってゆくんだ。90年代も後期になると新しいルネッサンスが始まる。ティバランドやスウィズがやってきたのだ。




サンプリングループの美学がとっくに当たり前となっていた当時、彼らのサウンドは新し過ぎて物議をかもしまくった。シンコペイトするドラムとキーボードを多用したフレーズはこれまでのヒップホップとは明らかに異質だった。アレはアリなの?いやないべー!いや俺は好きだよ、でも踊れねー!などとどこへ行っても彼らのニューサウンドの話題は立ち上り、俺たちはアリナシを競って語った。だがミッシーエリオットやDMXといった、彼らのサウンドを嫌が応にも認めさせる物凄いパワーのニューアーティストの台頭とともに、俺たちは徐々にそのサウンドに慣れてゆき、結局認めさせられてしまう。そして嵐のような90年代が幕を閉じる頃には最終的にシーンの総意として彼らのサウンドはミレニアムスタイルとして認知されたのだ。プレミアやピートロックやQティップやショウビズや... もっと言えばムロ君やデブラージやDJケンセイから学んだ「イズム=美学」はついに「旧時代のもの」という烙印を押されてしまうことなる。アナログイズムの崩壊はここに始まったのだと思う。シーンの意思は「最先端なことがクールなんだ」という方向に固まった。ヒップホップは新たな時代を迎えたのだ。




そして2008年現在、でっかいレコードバッグを抱えて営業に出るDJはほぼ皆無となった。なぜならmac一個で足りるのだから。ミニマムなスタイルだがその容量たるやレコードバッグの何個分なのかという話で、ある意味というか今や完全にそれは理にかなったシステムなのであろう。でっかいヘッドフォンステレオやラジカセを見ることももうない。カセットやCDを持ち歩く手間がめんどくさいし、第一に重くてでかくてめんどくさいモノなどもうみんな嫌いなのだ。人々はi podを始めとするMP3プレイヤーやケータイで音楽を楽しむ。またさらにはアナログはもとよりCDを買う必要性すら希薄になる一方だ。PCさえ持っていればlimewireやkabosuで際限なく無料で音源や動画をダウンロード出来てしまうし、まっとうに音源を手に入れるにしても配信というシステムがあるのだから。誰も好き好んで部屋の荷物など増やしたくないのだ。アナログ時代の音質へのこだわりなどもはや一部の好き者の美学であり、誰もそんなことは気にしなくなった。手軽で早くてしかもタダなものに大衆が群がるのはしかたない。そしてメジャーレコードレーベルとアーティストたちの苦悩は進む一方で、もはやインディの若手アーティストたちはメジャーに興味などなくなってしまった。音楽ビジネスに夢がなくなってしまったのだ。




そしてついにというかなんというか... 去年の暮れに渋谷シスコが閉店してしまった。上野にも心斎橋にも札幌にもシスコはもうないのだ。マンハッタンもなくなると聞く。宇田川町で大型レコード店としては残るはDMRのみだがそれもこうなってしまっては時間の問題なのだろう。今でもアナログで営業に出るDJもいるだろう、だが三年後にどうなってるかはわからない。攻めるべきことじゃない、時代だ。時代が変わったんだ。だがなにも悲観してるわけじゃない。俺はトッポイ東京Bボーイだぜ。フレッシュな何かが好きなんだ。アナログ文化愛好家だった頃もその思想自体が新しかったからのめり込んだのだ。それが当たり前になったら飽きるのが人間。「気分屋は正直者」とは俺の座右の銘である。アートとは、文化とは、壊して作ってまた壊すループを描くものなのだ。俺は歩くヒップホップそのもの。その時代のヒップホップを生きる。過ぎ去った過去に遠い目をしてるヒマなんかないんだ、時代は待ってくれないのだから。厳しい時代さ、でもやりがいがあるぜ。俺たちの新しいヒップホップを作るんだ。過ぎた時間や遺産に敬意を払うのは当たり前、それがなくちゃ90年代Bボーイの名がすたるぜ。その上でまたなにかを編み出す。それが俺たちの使命さ。やってやる、やってやらあ。ただ忘れ去られる前に若い世代に言っておきたかったのだ、若かった俺たちが過ごした貴重な季節を。時代は変わる。だが変わることを恐れず前に進むぜ。俺たちのストーリーはまだ始まったばかりだ。目を見張れ、耳を傾けろ。システムが死んでもヒップホップは死にはしない。俺が生きて証明しよう、以上だ。