ウッディ・アレンの作品は破たんがない。
そして短い。大体は100分くらいで手際よく収める。
ここにウッディ・アレンの「頭の良さ」が表れている。
論理に破たんがないというのは、
数ある「頭の良さ」の一つに過ぎないが
強力な武器には違いない。
本作はニューヨークの男女の恋愛模様を描いたもので、
『アニーホール』の続きのような作品だ。
まず思うのは皆よく喋るということで、
そこで交わされる言葉も、
分析的というか、知的と言えば知的だが
含みがなく、色気もない。
これは当時のアメリカ人がそうだったというわけではなく、
ウッディアレンの周りとか、一部の階層の人々の間では
こんな会話をしていたのだろう。
そしてウッディ・アレンは少しもかっこ良くない。
背も低いし、身体も貧弱で子供っぽいし、
服のセンスもダサい。頭も薄くなりかけている。
繰り返しになるが、唯一と言っていい武器は、彼の頭脳で、
彼がニューヨークのような街を渡り歩くには
言語能力を振り回すしかなかったのだろうと思う。
そう思うと、ウッディ・アレンに同情もしたくもなってくる。
実際のウッディ・アレンも作品中のアイザックと似たようなタイプだったと想像するが、
よくこんな男がハリウッドでのし上がったものだ。