こちらのブログを書くのも私だけになってしまいましたので、もうコガの個人ブログといってもよい気がします。一人で使ってもいいかどうか、今度、ダバド会議(スカイプ)で申請してみます。
ある朝、自宅の玄関扉を出た所に、ガラスの破片が落ちていました。長辺5cm程度のものが一欠片だけ。私はそれを見つけて、あれ、おかしいぞ、と少し不思議に思いました。うちはマンションの二階の角部屋で、階段室は通路全体の中ほどにあります。隣室は現在、空き部屋で、階段からこちら(私の部屋)側の住人は、私だけなのです。
念のため、通路に面した自室の窓や、ガスのメーターを調べてみましたが、それらに割れた形跡はありませんでした。それから通路を歩いて、他の破片がないか探しましたが、一片たりとも見つけることは出来ませんでした。
この辺りになると、私はもう探偵気分で、最近、読んだアガサ・クリスティの探偵、エルキュール・ポアロになりきって、はりきってまいりました。
私はその前夜の、帰宅時からの私自身の行動を振り返り、自身のアリバイを成立させるとともに、その帰り道すがら書店で雑誌のダ・○ィンチを買い、鞄の中に入れたままであることに思い至りました。これは大きな収穫であったといえるでしょう。
それから安楽椅子探偵よろしく、思索を重ねた結果、遠い過去の、こんなセリフを思い出しました。
「いいかい。”ガラスの”という言葉は、歌詞のフレーズとして、つい使ってしまうものなのだよ、コガくん。作詞をする者としてはね、避けられないのさ、ふふふ。」
これは、専門学校時代に同輩が作詞したメモ書きを見ながら、彼がその歌詞の中で使っていた、”ガラスの”についての見解を述べた時のセリフです。私は心の中で、もうこれで何度目かの「やかましいわ。」を独りごちました。
さて、これで事件は迷宮入りとなり、雑誌も興味のない記事ばかりだったし、視聴したアニメも面白くなかったし、歯の隙間にブラックペッパーがはさまって取れねーし、どうなってんだよ、もう、あ、もうすぐ冬期オリンピックかぁ、ちっ、うるせーな、引退しまーす。おつかれさまでした。
追記:歌詞の”ガラスの”についての、彼の見解を聞いていた時に、真っ先に思い出した曲はラクリマクリスティのIn Forestだったことを覚えています。