今回は書きたい感情がいつも以上にまとまらない。でもなんか伝えたい。とりあえず書く。
東日本大震災に関わる色々な事をやっています。
瓦礫撤去。家屋の解体、補修。泥出し。炊き出し。捜索。除染。‥‥
被災者のかたの家に泊まって御飯食べたり、酒飲んだり。‥‥‥
‥‥
‥
2012.1.21、1.22。。石巻市街地から1時間ほど走った場所にある学校と避難場所の掃除、泥出し、献花台造りを手伝うことに。
正直、地名は知っていたが学校の存在被害などは知らなかった。
数100m先には誰でも一度は聞いた事のある某学校。
このメディアの片寄った報道。なんなんだ?
10ヵ月経つがほぼ手付かずって情報。
(まさかそんなはずは。)
場所がシビアな所だけにちゃんとした情報が欲しくて役所、学校、支所に連絡を取る。話しを聞く。写真を送ってもらう。知れば知るほど苦しくなる。それと共に沸き上がる疑問。なんでここが避難場所?なんで余り手付かずなの?(最初の情報とは違い、多少片付いていた)
なんで、なんで、なんで‥‥‥‥
作業の許可。立ち入り禁止場所に入る許可をもらえた。御遺族、御家族でなく役所の許可。
(注意事項が付いた。)
1.児童、大人、合わせて57人中54名亡くなられており【生存率5%】未だ不明者もいる。御遺族、御家族の方達に細心の気配りを。
2.建物が倒壊する恐れがある。
仲間にも伝える。みな心得ていた。出来る限りのことをしてあげたかった。
前日入りしていた俺は相棒と現調していた。始めて見る現場。今まで色んな被災地で活動してきたがここは‥‥‥
お線香をあげ、建物を見る。
供えてある花は至るところで渇れ空き缶などと一緒に写真や思い出の品が置かれている状態だった。
支所は5年前に新設されたかなり丈夫そうなしっかりとした建物に見えた。太い柱、梁。太い鉄骨。コンクリート。
市の防災計画では宮城県沖地震で想定される津波は5.5m。支所は海抜6mに建設。避難場所としては市の基準は満たしているのかも知れないけど適当ではない気がする。構造よりも立地場所。なんで。疑問は尽きない‥‥
津波がどの角度からぶつかってきたのかわかった。太い鉄骨が遠くから見るとアーチ状にオブジェのように曲がっている。近くで見ても信じられない。
支所に入り見回る。
昨日、地震で崩れたと言われてもわからないくらい荒れている。
壁と天井は剥がれサッシが無造作に垂れ下がる。衣類や書類、ゴミが散乱している。思い出の品もまだありそうだった。
全てのお供えしてある場所に手を合わせ、お線香をあげてゴミを拾い私物とわかるものをまとめて置く。
なんでこんな河川沿いの場所が避難場所なの?
川、河?海。もう海なんだ。目の前。
この日も防波堤を越えるような波が打ち付けていて津波の事を考えたら苦しかった。怖かった。
学校へ移動する。
この学校の避難場所は裏山だった。
訓練もして行きなれた場所。
校舎の止まった時計は【あの時間。】時間帯は放課後。震災後、卒業式の準備で校舎にいた児童は先生と屋上へ避難。学校にいなかった児童、地域の人達は指定避難場所の支所へ避難したらしい。指定避難場所と知らなかった人は高台に逃げたそうです。
結局訓練していたいつもの【裏山】には行けなかった。
災時にマニュアル、ルールは通じないんだ。
学校側から聞いていた通り多少片付いていた。が、一階は泥が残りトイレも泥で埋まっていた。二階、三階は学校の備品が乱雑に集められていた。これ等には手を付けない。児童の物とわかる物だけ一階に持っていった。図工で作った作品か【〇〇川と生きる】という絵の具で色を塗った木工作が落ちていた。その川が‥‥‥
いたたまれない。
各教室には避難時先生方が児童のいないことを確認した【確認OK】の文字が黒板に残っていた。
使わないかもしれない学校。少しでも綺麗にしてあげたい!
明日、やれる事は大体決まった。後は仲間と連絡を取り割り振りだけ。
夜。
作業するに至ってもやはりやめた方がいいんじゃないか?
みんなで悩んだがやることに決めた。
ほぼ手付かずの現場。それには理由があるはずだ。地元の人達では思いが強すぎて片付けまでは手が回らないのかもしれない。デリケート過ぎる。そんな時は外部の人間に遠慮なく言って欲しい。
俺達だから出来る事がきっとある。
東日本大震災に関わる色々な事をやっています。
瓦礫撤去。家屋の解体、補修。泥出し。炊き出し。捜索。除染。‥‥
被災者のかたの家に泊まって御飯食べたり、酒飲んだり。‥‥‥
‥‥
‥
2012.1.21、1.22。。石巻市街地から1時間ほど走った場所にある学校と避難場所の掃除、泥出し、献花台造りを手伝うことに。
正直、地名は知っていたが学校の存在被害などは知らなかった。
数100m先には誰でも一度は聞いた事のある某学校。
このメディアの片寄った報道。なんなんだ?
10ヵ月経つがほぼ手付かずって情報。
(まさかそんなはずは。)
場所がシビアな所だけにちゃんとした情報が欲しくて役所、学校、支所に連絡を取る。話しを聞く。写真を送ってもらう。知れば知るほど苦しくなる。それと共に沸き上がる疑問。なんでここが避難場所?なんで余り手付かずなの?(最初の情報とは違い、多少片付いていた)
なんで、なんで、なんで‥‥‥‥
作業の許可。立ち入り禁止場所に入る許可をもらえた。御遺族、御家族でなく役所の許可。
(注意事項が付いた。)
1.児童、大人、合わせて57人中54名亡くなられており【生存率5%】未だ不明者もいる。御遺族、御家族の方達に細心の気配りを。
2.建物が倒壊する恐れがある。
仲間にも伝える。みな心得ていた。出来る限りのことをしてあげたかった。
前日入りしていた俺は相棒と現調していた。始めて見る現場。今まで色んな被災地で活動してきたがここは‥‥‥
お線香をあげ、建物を見る。
供えてある花は至るところで渇れ空き缶などと一緒に写真や思い出の品が置かれている状態だった。
支所は5年前に新設されたかなり丈夫そうなしっかりとした建物に見えた。太い柱、梁。太い鉄骨。コンクリート。
市の防災計画では宮城県沖地震で想定される津波は5.5m。支所は海抜6mに建設。避難場所としては市の基準は満たしているのかも知れないけど適当ではない気がする。構造よりも立地場所。なんで。疑問は尽きない‥‥
津波がどの角度からぶつかってきたのかわかった。太い鉄骨が遠くから見るとアーチ状にオブジェのように曲がっている。近くで見ても信じられない。
支所に入り見回る。
昨日、地震で崩れたと言われてもわからないくらい荒れている。
壁と天井は剥がれサッシが無造作に垂れ下がる。衣類や書類、ゴミが散乱している。思い出の品もまだありそうだった。
全てのお供えしてある場所に手を合わせ、お線香をあげてゴミを拾い私物とわかるものをまとめて置く。
なんでこんな河川沿いの場所が避難場所なの?
川、河?海。もう海なんだ。目の前。
この日も防波堤を越えるような波が打ち付けていて津波の事を考えたら苦しかった。怖かった。
学校へ移動する。
この学校の避難場所は裏山だった。
訓練もして行きなれた場所。
校舎の止まった時計は【あの時間。】時間帯は放課後。震災後、卒業式の準備で校舎にいた児童は先生と屋上へ避難。学校にいなかった児童、地域の人達は指定避難場所の支所へ避難したらしい。指定避難場所と知らなかった人は高台に逃げたそうです。
結局訓練していたいつもの【裏山】には行けなかった。
災時にマニュアル、ルールは通じないんだ。
学校側から聞いていた通り多少片付いていた。が、一階は泥が残りトイレも泥で埋まっていた。二階、三階は学校の備品が乱雑に集められていた。これ等には手を付けない。児童の物とわかる物だけ一階に持っていった。図工で作った作品か【〇〇川と生きる】という絵の具で色を塗った木工作が落ちていた。その川が‥‥‥
いたたまれない。
各教室には避難時先生方が児童のいないことを確認した【確認OK】の文字が黒板に残っていた。
使わないかもしれない学校。少しでも綺麗にしてあげたい!
明日、やれる事は大体決まった。後は仲間と連絡を取り割り振りだけ。
夜。
作業するに至ってもやはりやめた方がいいんじゃないか?
みんなで悩んだがやることに決めた。
ほぼ手付かずの現場。それには理由があるはずだ。地元の人達では思いが強すぎて片付けまでは手が回らないのかもしれない。デリケート過ぎる。そんな時は外部の人間に遠慮なく言って欲しい。
俺達だから出来る事がきっとある。