職場や友人から

 

「イクメンだね!」

 

と言われることって実はほぼほぼ意味ないと思っていて。

 

なんでかと言えば、結局外で他の人が見ている部分って、日常の中のほんの一部分にすぎないからなんです。

 

それを受けて、あ、自分は子育てしているんだ、これがイクメンなんだって世の中の男性が思うとしたら…

 

それは待ったを言いたい!

 

 

これからパパになる人が一番考えてほしいのは、世の中の人にどう思われるかということよりも、

 

 

妻がどう思っているか

子供がどう思っているか

 

 

ここです。一番距離が近いここです。

 

 

どう思っているか、というのは、

 

孤独を感じていないか、泣かせていないか、ということ。

 

 

もし他の人からイクメンだと思われたところで、

家族がそんな風に思っていなかったら意味ないんです。

 

自分の中で「やっている方だ」とか「やっているつもり」と思ったところで、

それはほぼほぼ合っていなくて、

 

そのやっていることが成立するまでの準備や後片付けに目を向けて、

そこに家族の支えはないのか、妻の方が実は時間をかけて行っていることはないのか、

ちゃんと知る必要があるんですよね。

 

 

例えば、お出かけ一つとってもそうです。

 

お出かけに行っている最中に子供と遊んだり、車を運転したり、目的地までスムーズに向かったり、

それらもめちゃめちゃ大事です。

 

大事ですが、それが成立するのは、

 

お出かけに行く前の準備で家族みんなが何事もなく過ごせるかすべて考えた上で用意したり、

帰ってきたら今日用意した荷物を全て片付けて綺麗にまとめて日常生活が滞りないようにしたり、

という背景が絶対あるんですよね。

 

着替えやおむつの枚数は足りているか?

おしりふきはあるか?

お出かけ先に授乳スペースはあるか?

帰ってきてからスムーズに夕飯やお風呂、寝られるまで行えるか?

 

いろんなこと考えての準備や片付けを誰がしているか。

そこに感謝がないままに、外面だけ頑張っても、やっぱり家族の笑顔は出てこないんじゃないかなって思います。

 

 

だから僕は思います。

妻には全然敵わないと。及ばないと。

 

毎日反省と改善を繰り返していますが、その何歩も先を見通して妻は頑張ってくれているので、

もう本当感謝しかなくて。

 

 

だからこそできることをもっと増やしたいし、力になりたいんですよね。

家族の一員として。

 

 

父親として、大事な意識は、

 

 

家族が心から幸せかどうか。

 

家族の記憶が幸せかどうか。

 

 

ここに意識が向けられるかだと思っています。

 

 

 

世の中のママさん、パパさん、

いつも子育て頑張ってくださり、

本当にありがとうございます!!

今、主にインスタの方をやっているので、そちらに有難くも凄く沢山のママさんからのメッセージをいただきます。
その多くが、

 

今の子育ての状況がつらい。

なんでこんなに母親だけがもっともっともっと頑張れって思わせられているのでしょう。
「母親」になっただけで。

全員違う人間なのだから、同じようにできなくていいはずなのに。


社会には確かにいろんなサポート体制はあります。
ベビーシッターや家事代行サービス、
自治体や保育施設での一時保育、
でもそれらも、もしかしたら、

母親なんだから自分がまず頑張らなきゃダメなんだ、って思わせてしまって、

サービスを受けることが良くないとか思わせていたり…


そして、子供だって全員同じように育つわけではなく、みんな違う人間。
全く異なります。同じように行くわけがない。同じことが通用するわけがない。
その子そのもの、その人そのものを見ていくのが大事。

それは親になった、大人になった一人一人だってそうなんです。
女性も、男性も。



本当子育てをさせてもらって、やってみて初めてわかることってたくさんあります。
事前情報がいくらでも手に入る時代にはなりましたがそれでも、

やってみて初めて、夜泣きこんなに辛いのか…とか、育児家事同時並行とか厳しすぎ…とか、
それが個人個人に対してどれほどの影響でどう思うのかは、やっぱりその人によって違うから。


キャパも違えば、中にはいくらでも頑張れる人もいる。
でも気持ちを隠さざるを得なくなっている人もいる。


それでもやっぱり、

 

気持ちを吐き出せる、吐いていい、いいんだよ、

だって大変だもん、分かるよ、本当キツイよね、

よく頑張ってるよって、言える社会であってほしい。


本当に一番大事なのは、命です。
頑張っているあなたの命です、心です。
それが壊れないことが最善です。


やめていいって、普通に言える社会にしたいです。

仕事だって休暇を取ったり転職したりって、それが普通にできるじゃないですか。

「母親」というものから完全に逃れるというよりは、何というか、

元々の「あなた」である時間を積極的に作っていいというか、

いくらでも休んでいいよって、離れていいんだよって、

代わりにやるからって、一緒にやるからって、

 

そういう言葉を自然に出せる世の中の方が生きやすいんじゃないかなって思うんですよね。


理解ある世の中にしていきたいです。
支え合える世の中にしていきたいです。
 

 

こんな話を聞きます。

あなたも聞いたことありませんか?

 

複数人のお子さんがいる方が、子供一人育てる方が楽だと言ったり、うちは〇人いるから…と何故か複数の方が凄いかのように言ったり。

 

人はそれぞれ価値観が違うもの。

だからといって、こんな状況だから自分の方が、それとも相手の方が、と比べたり、マウントを取るようなことは絶対にしちゃいけない。

 

 

何故なら、

 

 

どんな状況であっても、その当事者が大変だと思えば大変なんです。

他の人に比べたら自分の状況や環境なんて、全然良い方なのかもしれないな…と、今の自分の正直な気持ちにフタをして我慢してしまったら…

 

いつか爆発しちゃいますから…!

 

何でなんだ、何で自分だけこうなるんだ!って、気持ちの行き所がないくらい深い闇に落ちてしまいそうな…

 

 

人は、

 

価値観が違うこと以外にも、性格や物事のキャパシティも違うから、その人にとって何が大変か、と思うことが異なるものですよね。

 

子供一人を育てる、ということだって、

 

初めての育児だからこそこれまでに経験したことのない不安に戸惑い、

 

何もわからず手探りな状態に迷い、

 

本当にこれで合っているのかと何度も何度も悩みながら過ごすから、

 

「一人だけの育児が楽」なんて、特に子育てをワンオペで毎日頑張っている人からしても、複数人居ても最初の一人目を本気で子育てしてきた人からしても、ありえないことだと思います。

 

 

 

また二人目以降の場合は、複数人になることで気持ちが分散してしまう…という風な不安も出てきます。

一人に時間を注げずに、それぞれをちゃんと見ることができているのかと。

 

ただ、一人目の時はこの時期にこんな経験をしていたな、と、二人目以降の育児ではある程度予測ができることも出てきます。

そして一人目が成長すれば、お母さん、お父さんが何もしなくても自分だけでできることが増えて、更には手伝ってくれるようにもなるから、逆に複数人の方が楽だと感じる方もいるかもしれません。

 

 

でも、例え何人だったとしても、

 

 

何人なら大変で、何人なら楽、なんてものはないんです。

 

目の前のその子はその子だけ。

 

産まれるまでの状況も、気質も性格も行動も求めるものも、他の誰とも異なるものばかり。

 

そもそも、〇人もいて、なんて話を出す時点で、子供にも妻にも失礼な話なんです。

ママからしたら、体張って命懸けて産んでくれたこと。

子供からしたら、狭い産道を通って全力で生まれてきてくれたこと。

 

どの命も本来尊いものなんですよね。

 

 

 

他にない命を育てるのだから、

皆それぞれで大変だし、

弱音だって吐いていいし、

比べなくていいんだし、

周りに甘えていいんです。

 

 

本当は、

自分だけで頑張らなくていい。

 

本当は、

完璧にすべてをこなさなくてもいい。

 

本当は、

できないことがあってもいい。

 

本当は、

沢山休むことも大切にしてほしい。

 

正直な自分の気持ちに素直になろう。

そう、しんどいものはしんどいんだよって、もっと正直に言って大丈夫だから。

 

 

 

みんな違う状況の中で、

みんなそれぞれが一生懸命に頑張っている。

 

もっと大変な人はいる、なんて思わなくていい。

自分自身の今の気持ちにどうか向き合ってほしい。

 

そして我慢せずに言ってほしい。

 

みんなで助け合っていきたい。

 

子育ては一人でするものじゃないから。

 

日中仕事に行っていて

普段子育てをママにお願いしているというパパは沢山いると思います。

 

そんなパパの中には、

仕事以外でももっと力になりたいのに

と思っている方もいるはず…

 

そんなとき

僕らパパは今日からこんな風に想像してみよう

 

 

 

例えば、

 

夜遅く帰ってきて家の中におもちゃが散乱していた

 

一日何やってたんだとは思わずに、その日がどうだったか想像してみて

 

子供がやんちゃして最後はもう寝かせるだけでいっぱいいっぱいだったのかもしれない

 

ママは一日、頑張っていたんだと感謝に変わるはず

 

 

 

例えば、

 

その散乱していたおもちゃ一つ一つ手に取ってみる

 

片づけたらいいのにとは思わずに、その日がどうだったか想像してみて

 

落ちているのは今子供が気に入っているおもちゃなのかもしれない

 

ママは子供の今を見ているんだと感謝に変わるはず

 

 

 

例えば、

 

洗い物や残飯がたくさん残っていた

 

洗えばいいのにとは思わずに、その日がどうだったか想像してみて

 

あれやだ!食べない!と言われ、途方に暮れ疲れ果てたのかもしれない

 

ママは一日大変だったんだと感謝に変わるはず

 

 

 

例えば、

 

洗濯物の山を見た

 

畳めばいいのにとは思わずに、その日がどうだったか想像してみて

 

ママ―これ見て見て―とひっきりなしによってくる子供

ずっとその対応に大変で、洗濯物を畳みたくてもできない、そんな余裕もなかったかもしれない

 

ママは子供と向き合っていたんだと感謝に変わるはず

 

 

 

例えば、

 

帰宅したら、既に寝ているママと子供

 

起きていて欲しい、そうしたらいっぱい遊べるのに、なんて思わずに、その寝顔を見て想像してみて

 

きっと苦労もいろいろあった一日

それでも今日も、ママも子供もちゃんと元気で過ごしてくれていたんだ

 

ママは子供を生かしてくれていたんだと感謝に変わるはず

 

 

 

確かに、

 

体験できないと本当の意味では、理解できないのかもしれない

 

 

でも、僕らパパが普段仕事を通して取引先や製品を使う相手など、

遠くにいる誰かのことを想いながら仕事をするように、

 

 

日中パパがいない間に起きたこと、

家での様子や子供の姿を通して、

ママの頑張りを想像することはきっとできる

 

 

やろうとしたら、きっとできる

 

 

だから、次にママと顔を合わせた時は

 

心からの想いを伝えてみよう

 

 

いつも頑張ってくれて、

本当に本当に、

 

 

ありがとう

 

これは僕が、とある企業に勤めていた時の話。

 

非常に大きなやり甲斐と、

これまでの自分がやってきたことを活かせるかもしれない!と

 

大きな希望を抱いて入社できたことがとてもとても有難く、

 

そして、家族を守らなければならないという責任感で動いていました。

 

 

ベンチャー的な企業の体質で、覚えることも表現できることも新鮮なことが多く、

最初はやること全てが充実していたのですが…

 

 

急に別の部署に異動になった時から、

僕自身の力不足で、僕だけでは対応できないことが増えていきました。

 

 

ある、ミスをしてしまったことがあり…

 

 

今でもつらい記憶があります。

 

それは当時の上司に言われた、この言葉。

 

 

 

お前使えないな

この仕事やる価値ないよ

お前の進退に何の興味もないから

 

 

 

こう言うことで激励を込めていたのかもしれません。

でも、この言葉を受けて、僕は自分を支えられなくなりました。

 

なにくそ!と反発して次はもっとしっかりやってみせるという力に変えようとすることができなくて。

周りに助けてほしいと伝えても状況が変わらず、この気持ちが周りには届かないと思ってしまって。

 

今思えば、会社も裏では全力でバックアップしてくれていたのだと思いますが、僕が応えることができなかった。

 

でも会社での立場を気にして、何があっても自分に責任があるのだから働かなければならないんだと、文字通り「必死」でした。

 

 

泊りがけの生活を続けていたある日、たまたま家に帰れた時があって、

 

妻の顔を見た時にふっと本音が出てしまったんです。

 

もう無理かもしれない、と。

 

真正面から言えた話ではなかったので、妻の顔を見ずに言ったような気がしますが、ふと妻の顔を見ると、

 

 

 

泣いていて…

 

 

 

そして、言われたんです。

 

 

 

 

仕事辞めていいよ。

 

そんな風になるまで、働かなくていいんだよ。

 

あなたが本当に必要とされる場所は、他に必ずあるから。

 

 

 

 

 

もしかしたらもう妻は詳細にはこのことを覚えていないかもしれないけど、

僕は、救われた想いでした。

 

頑張れなくてごめんって、

様々な人に迷惑をかけてごめんって、

そんな思いもありましたが…

 

もしあのまま本音を出さずに、頑張り続けていたら、

今頃どうなっているかわかりません。

 

結果、最終的に僕は会社を辞めることにしました。

 

今現在は、当時とは別の生き方をしていますが、

それでも、生きることができています。

そしてこんな経験をしたからこそ、

人に寄り添える人でいたいと想い続けています。

 

 

 

「言葉」は本当に、

大きな力があります。

 

人の心を抉ることだってできるし、

人の心を守ることだってできます。

 

それなら、僕は、

 

大切にできる方を使いたい。

 

僕自身まだ未熟で、相手を思いやったにもかかわらず言葉の使い方を誤ることもあるけれど、

改善しながらこれからも大切に使っていきます。

 

 

妻へ、あの日、

許してくれてありがとう。