悲劇の主人公 | ゲキジョウ型劇場

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ある特定のタイプの人間の観察日記。
あくまでも個人的な見解です。

前回の記事で激情型はマイナス思考でいる方が都合がいいと言ったが、ナゼか?…


それは、激情型は悲劇の主人公でいたいからである。


②悲劇の主人公
激情型は元々の性格が屈折している。
理由はそれぞれだろう。
屈折した性格を逆手にとり、悲劇の主人公を演じている。
例えば、家族の中に入院した者がいたとする。するととたんに激情型の魂にボッと火が付くのだ。
さすがに付き添いで寝泊りすることはないだろうが、毎日見舞いに行くはずだ。
特にすることもないのに…。
だが激情型にとって大事なのは、見舞うことより毎日病院へ行くことなのだ。
「他の家族は面倒がって見舞いに行かない。ここは自分が犠牲になって毎日行かなくちゃいけない‼︎」となるのである。

また、自分が我慢すればいいなどという馬鹿げた考え方も一つの例だろう。

このように激情型は、犠牲、我慢、耐える役柄を好む。あくまでも役柄だ。
本当はそんなものは好きではないはずなのだが、第三者にどう映っているかというところに的を絞っているので、「あの人大変そうだ」「可哀想だ」と言われるために演じている。
                   
可哀想と思われる自分に酔っているのだ‼︎

先ほどの例で言えば、毎日見舞いに行くのは入院している者のためではなく自身のためなのだ。
「毎日大変なのに頑張ってるね。」なとど言われた日には、激情型冥利に尽きるというわけである。
辛い状況に陥ると、激情型にとってはそれこそ絶好のチャンスなわけだ。
なぜ自分がこんな目に遭うのか、自分にばかり不幸がやって来るのかと活き活きしてしまう。実際に忍耐力があり我慢強い部分も持ち合わせているので、自分のスポットライトのためなら耐えてしまうのだ。
そして決して打開策を検討することはない。激情型にハッピーエンドはあり得ない。
このような方法で自己アピールをするので、周りの人間はたまらない。うっかりすると悪者になったような気分にさせられてしまうから注意が必要だ。
激情型が主役の舞台には共演しないのが得策であるが、関係上難しい場合はなるべく役名の無い村人Aとか、馬の前脚くらいにとどめておきたい。


ちなみに激情型は、自分より厳しい状況下にいる人を見ることで安心感を得る傾向があるようで、24時間テレビは大好きだ。


次回はどんな激情型の一面が現れるか、乞うご期待‼︎