新宿・パークタワーホール。
▼『消失点』('05年、ジネット・ローラン振付、オアナ・スュトゥ監督)
Wire Frame, choreography by Ginette Laurin, direction by Oana Suteu.
ジネット・ローラン振付の『Passare』をベースにした映像作品。建築家とその妻の関係の溝のようなものと、建築物の崩壊とを比喩で結びつけつつ、漠然とした心理的イメージというか「雰囲気」(セリフを使わずに意味を曖昧にするだけで簡単に立ち上がるような、何か「言葉にならない」感情のようなもの)を描写している。パリッとしたスーツを着た建築家がオフィスでいきなり踊り出すなど、まるで登場人物が唐突に歌い出すコテコテなミュージカルに似ているが、踊りがドラマ描写からあまりにも遊離していてひどく滑稽に見える。ローランの作品は『ドン・キホーテ』と『シャガール』をヴィデオで見たことがあるが、そこから得た印象としてはかなりリテラルな仕方でナラティヴや意味を取り扱う振付家で、逆にいえばナラティヴや意味を切り離して見るとあまり特色のない平凡なバレエ・ベースのダンスである。主演の女優はおそらくカンパニーのプリンシパル・ダンサーで、セリフがほとんどないのだが、彼女がセリフを言わなくても画面に現われることができるようにするためにちょっとした動きや仕草などが不自然に多く映っていて、それによって映画としてのリズムがメチャメチャになっている辺りも、技術的な稚拙さと、それ以前に企画の必然性のなさを感じさせる。
▼『ピナ・バウシュの吐息』('05年、フセイン・カラベイ監督)
A Breath with Pina Bausch, direction by Huseyin Karabey.
『ネフェス』を制作している稽古場を撮影したもの。バウシュの出したお題に対してダンサーたちがあれこれモティーフを作り出し、順番にバウシュの前で見せていく。動きやアクションが生まれてくるスタジオの自由な雰囲気が興味深く、またそれを椅子に座ってチェックするバウシュの「審査員」ぶりと、ダンサーたちのまるで小学生のような従順さが奇妙だった。バウシュは本当にいわゆる「振付」ということをしていなくて、ダンサーから出てきた素材を編集するだけのようだが、そのことは同時に、ダンサーたちがバウシュの作品の傾向をいかに内面化し切っているかということをも意味するように思える。監督は、稽古場で提出された素材が、舞台でどんな風に仕上がったかを単調なオーヴァーラップで見せていくばかりで、映像作品として見るべきところはほとんどない。
▼『消失点』('05年、ジネット・ローラン振付、オアナ・スュトゥ監督)
Wire Frame, choreography by Ginette Laurin, direction by Oana Suteu.
ジネット・ローラン振付の『Passare』をベースにした映像作品。建築家とその妻の関係の溝のようなものと、建築物の崩壊とを比喩で結びつけつつ、漠然とした心理的イメージというか「雰囲気」(セリフを使わずに意味を曖昧にするだけで簡単に立ち上がるような、何か「言葉にならない」感情のようなもの)を描写している。パリッとしたスーツを着た建築家がオフィスでいきなり踊り出すなど、まるで登場人物が唐突に歌い出すコテコテなミュージカルに似ているが、踊りがドラマ描写からあまりにも遊離していてひどく滑稽に見える。ローランの作品は『ドン・キホーテ』と『シャガール』をヴィデオで見たことがあるが、そこから得た印象としてはかなりリテラルな仕方でナラティヴや意味を取り扱う振付家で、逆にいえばナラティヴや意味を切り離して見るとあまり特色のない平凡なバレエ・ベースのダンスである。主演の女優はおそらくカンパニーのプリンシパル・ダンサーで、セリフがほとんどないのだが、彼女がセリフを言わなくても画面に現われることができるようにするためにちょっとした動きや仕草などが不自然に多く映っていて、それによって映画としてのリズムがメチャメチャになっている辺りも、技術的な稚拙さと、それ以前に企画の必然性のなさを感じさせる。
▼『ピナ・バウシュの吐息』('05年、フセイン・カラベイ監督)
A Breath with Pina Bausch, direction by Huseyin Karabey.
『ネフェス』を制作している稽古場を撮影したもの。バウシュの出したお題に対してダンサーたちがあれこれモティーフを作り出し、順番にバウシュの前で見せていく。動きやアクションが生まれてくるスタジオの自由な雰囲気が興味深く、またそれを椅子に座ってチェックするバウシュの「審査員」ぶりと、ダンサーたちのまるで小学生のような従順さが奇妙だった。バウシュは本当にいわゆる「振付」ということをしていなくて、ダンサーから出てきた素材を編集するだけのようだが、そのことは同時に、ダンサーたちがバウシュの作品の傾向をいかに内面化し切っているかということをも意味するように思える。監督は、稽古場で提出された素材が、舞台でどんな風に仕上がったかを単調なオーヴァーラップで見せていくばかりで、映像作品として見るべきところはほとんどない。