NY, Performance Space 122.
Text: Chiyori Miyagawa, Direction and Puppetry Conception: Sonoko Kawahara, Music: Bruce Odland, Otome Bunraku Choreography: Masaya Kiritake, Performance and Puppetry: Margi Douglas, Sophia Skiles, Anna Wilson, Masaya Kiritake (Otome Bunraku), Yukako Yamazoe and Fumiko Inoue (Koken-Puppet Assistants).
乙女文楽という珍しい形式(女性の人形遣いが体の前面に人形を装着して一人で演じる)をフィーチャーした演劇。どこまでが戯曲でどこからが演出家の造形なのかよくわからないけれども、『更級日記』とそれを読む現代の女性、すなわち京都で『源氏物語』を読む菅原孝標女とNYで『更級日記』を読むアメリカ人女性の物語がパラレルに展開されていく。人形は物語の中に現れるのだが、主要人物を演じるわけではないので見せ場も少なく、乙女文楽を用いることの意味はあまりはっきりしなかった。しかしそれ以上に、そもそもこの舞台からは菅原孝標女とアメリカ人女性をパラレルにすることの意味が見えて来ない。一方が平安時代の都に出て来れば、他方は田舎からNYに出て来るという具合に、文字通り純粋に図式的なアナロジーが行われているだけなのだ。おそらく紫式部、菅原孝標女、アメリカ人女性の三人が書き手と読み手の入れ子構造になることで、書かれたテクストが時空間を越えて記憶を伝えていくというところにテーマがあるのではないかと思う。しかし本来は断絶してあるはずのものが、平然と同じ舞台上に並べられてしまうため、「非連続なものが連続する」というドラマ(動き)が生まれない。だからこの舞台は最初から最後まで、展開を孕まない一つの形式的アナロジーがまさに理由もなくぽつんとあり続けるばかりに感じられる。
Text: Chiyori Miyagawa, Direction and Puppetry Conception: Sonoko Kawahara, Music: Bruce Odland, Otome Bunraku Choreography: Masaya Kiritake, Performance and Puppetry: Margi Douglas, Sophia Skiles, Anna Wilson, Masaya Kiritake (Otome Bunraku), Yukako Yamazoe and Fumiko Inoue (Koken-Puppet Assistants).
乙女文楽という珍しい形式(女性の人形遣いが体の前面に人形を装着して一人で演じる)をフィーチャーした演劇。どこまでが戯曲でどこからが演出家の造形なのかよくわからないけれども、『更級日記』とそれを読む現代の女性、すなわち京都で『源氏物語』を読む菅原孝標女とNYで『更級日記』を読むアメリカ人女性の物語がパラレルに展開されていく。人形は物語の中に現れるのだが、主要人物を演じるわけではないので見せ場も少なく、乙女文楽を用いることの意味はあまりはっきりしなかった。しかしそれ以上に、そもそもこの舞台からは菅原孝標女とアメリカ人女性をパラレルにすることの意味が見えて来ない。一方が平安時代の都に出て来れば、他方は田舎からNYに出て来るという具合に、文字通り純粋に図式的なアナロジーが行われているだけなのだ。おそらく紫式部、菅原孝標女、アメリカ人女性の三人が書き手と読み手の入れ子構造になることで、書かれたテクストが時空間を越えて記憶を伝えていくというところにテーマがあるのではないかと思う。しかし本来は断絶してあるはずのものが、平然と同じ舞台上に並べられてしまうため、「非連続なものが連続する」というドラマ(動き)が生まれない。だからこの舞台は最初から最後まで、展開を孕まない一つの形式的アナロジーがまさに理由もなくぽつんとあり続けるばかりに感じられる。