10月3日のリサイタルでは、紙のプログラムには曲目解説を掲載せず、こちらのブログでご紹介することにしました。
今回のリサイタルのタイトルには、
「あの日描いた人生の、その先へ。」
という言葉を添えています。
2016年、青山音楽記念館バロックザールで初めてソロ・リサイタルを開催し、翌2017年の大学院修士演奏では「とある男の人生」と題して、一人の男の人生を音楽で描きました。
そこから約10年。
合唱団で歌い、オペラの舞台に立ち、指導をし、さまざまな土地でたくさんの方と出会ってきました。
そして2025年、第61回日伊声楽コンコルソで第1位をいただきました。
今回のプログラムは、単に「好きな曲」「コンクールで歌った曲」を並べたものではありません。
今の自分がどんな歌を歌いたいのか。
そして、これからどこへ向かっていきたいのか。
そんなことを考えながら組んだプログラムです。
少し長くなりますが、公演前でも、公演後でも、気になるところだけでも読んでいただければ嬉しいです。
第1部
R. レオンカヴァッロ
歌劇《道化師》より プロローグ
「ごめんください、皆様方」
Si può?... Signore! Signori!
今回のリサイタルは、《道化師》のプロローグから始まります。
舞台に現れるトニオは、これから始まる芝居について観客に語りかけます。
けれど、このプロローグの面白さは、単なる「あらすじ紹介」ではないところにあります。
舞台の上にいるのは役者だけれど、その役者にも血が流れている。
喜びも、怒りも、涙も、本物の人間のものなのだ。
そんなことを客席へ直接訴えかけます。
オペラでは、このあと壮絶な人間ドラマが始まりますが、プロローグだけを取り出してみても、一人の歌手が「これから皆さんに何を届けようとしているのか」を宣言するような作品です。
だからこそ、今回のリサイタルの最初に置きました。
舞台と現実。
役柄として歌う自分と、一人の人間として歌う自分。
リサイタルの幕開けとして、これ以上ふさわしい曲はなかなかないと思っています。
O. レスピーギ
「夜」
Notte
「雪」
Nevicata
「霧」
Nebbie
「最後の陶酔」
L’ultima ebbrezza
《道化師》の非常に強い世界から少し離れて、レスピーギの歌曲へ進みます。
レスピーギというと、オーケストラ作品《ローマの松》《ローマの噴水》などを思い浮かべる方も多いかもしれません。
しかし歌曲にも、本当に美しい作品をたくさん残しています。
今回選んだ4曲には、夜、雪、霧、そして陶酔という、どこか輪郭の曖昧なものが並んでいます。
僕はこの4曲を、「景色を描く歌」というだけではなく、景色によって人間の内面が浮かび上がってくる歌だと思っています。
「夜」には静けさがあり、
「雪」には冷たさと美しさがあり、
「霧」には息苦しいほどの孤独があり、
「最後の陶酔」には、一気に感情が解き放たれていく瞬間があります。
同じイタリア語でも、オペラとはまったく違う世界です。
大きなドラマを演じるのではなく、一つの言葉、一つの響き、一つの風景をじっくり味わっていただけたらと思います。
M. ラヴェル
《ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ》
1. 空想的な歌
Chanson romanesque
2. 英雄的な歌
Chanson épique
3. 酒の歌
Chanson à boire
第1部の最後は、ラヴェル晩年の歌曲集です。
主人公は、あの「ドン・キホーテ」。
理想の女性ドゥルシネアを思いながら歌う3つの曲です。
1曲目では恋を語り、
2曲目では祈り、
3曲目では酒を飲む。
三曲それぞれにまったく違った顔があります。
ドン・キホーテという人物は、周囲から見れば滑稽なのかもしれません。
けれど本人は、誰よりも真剣です。
自分が信じる愛や理想に向かって、まっすぐ進んでいく。
僕はそこに、この作品の愛おしさを感じています。
特に最後の「酒の歌」は、それまでの繊細さから一転して、非常に陽気でエネルギッシュな音楽になります。
レスピーギの内省的な世界から、少しずつ外へと開いていき、第1部を締めくくります。
第2部
G. ドニゼッティ
歌劇《ポリウート》より
「美しいあなたの面影が」
Di tua beltade immagine
第2部は、僕がこれからさらに深く取り組んでいきたい「イタリア・オペラ」の世界から始めます。
《ポリウート》でこの曲を歌うのは、ローマの将軍セヴェーロ。
彼には、かつて愛し合った女性パオリーナがいます。
戦いの中で死んだと思われていたセヴェーロは、生きて彼女のもとへ帰ってきます。
「美しいあなたの面影が」では、もうすぐ再びパオリーナに会えるという期待に胸を膨らませながら、彼女との幸せな記憶を思い描きます。
目に映る太陽も、周囲の空気も、すべてが愛する人を思い起こさせる。
非常に美しく、幸福感に満ちた音楽です。
ところが、その直後。
セヴェーロは、パオリーナがすでに別の男性――ポリウート――の妻となっていることを知らされます。
再会できる。
もう一度、あの幸せを取り戻せる。
そう信じていた世界が、一瞬にして崩れます。
そして続くカバレッタ、
「いや、あの剣は残酷ではなかった」
No, l’acciar non fu spietato
へ。
戦場で自分の血を流した剣よりも、こんな現実を知るために自分を生き延びさせた運命の方が残酷だった――。
先ほどまでの柔らかく幸福な記憶から、一気に絶望と激情へ。
この大きな感情の振れ幅も、ベルカント・オペラを歌う面白さの一つだと思っています。
そして、この曲には僕自身の思い出もあります。
今から約10年前。
今回のリサイタルでもピアノを弾いてくださる中村圭介さんに、この曲を聴いてもらった時、
「この曲で突破やなあ!」
と言ってもらったことがあります。
それ以来、コンクールの一次、二次予選など、「ここは一点突破したい」という場面で、何度も僕を支えてくれた曲になりました。
10年前にも中村さんと向き合っていた曲を、こうして受賞記念リサイタルで、もう一度中村さんのピアノとともに歌う。
今回のリサイタルのテーマである、
「あの日描いた人生の、その先へ。」
という言葉を考えると、この曲を今ここで歌うことにも、不思議なつながりを感じています。
10年前の自分が「突破するため」に歌っていた曲を、今の自分がどんなふうに歌うのか。
僕自身も、とても楽しみにしている一曲です。
G. ヴェルディ歌曲
「乾杯」
Brindisi
ここからはヴェルディ。
ただし、いきなりオペラには入りません。
まずは歌曲から。
「乾杯」は題名通り、とても快活な歌です。
ヴェルディというと、重厚なオペラや人間の悲劇を思い浮かべますが、こんな軽やかで洒落た音楽も書いています。
後半の入口として、まずは肩の力を抜いて楽しんでいただければと思います。
「墓に近づいてはならぬ」
Non t’accostare all’urna
同じヴェルディでも、「乾杯」とは一転します。
墓に近づいてはいけない。
そこには自分の大切な人が眠っている。
静かな音楽ですが、その奥には深い悲しみがあります。
若いヴェルディの歌曲ですが、後にオペラで何度も描くことになる、喪失や孤独、人間の心の暗部がすでに感じられる作品だと思います。
ここから、後半はいよいよヴェルディ・オペラの世界へ入っていきます。
歌劇《マクベス》より
「慈悲、尊敬、愛」
Pietà, rispetto, amore
シェイクスピアの悲劇を原作とした《マクベス》。
権力を求め、多くの人間を犠牲にしてきたマクベスが、自分の人生の終わりを前にして歌うアリアです。
彼がここで気づくのは、
自分には老後に人が得るはずのもの――
慈悲、尊敬、愛――
そのすべてがない、ということ。
権力を手に入れても、人の心は手に入らなかった。
非常に静かなアリアですが、僕はこの曲に、ヴェルディのバリトン役の魅力が凝縮されていると思っています。
単純な悪役ではない。
それまでに犯してきたことを背負いながら、それでも一人の人間として自分の人生を見つめる。
派手さではなく、言葉と音楽の重さを大切に歌いたい作品です。
歌劇《仮面舞踏会》より
「お前こそ魂を汚す者」
Eri tu che macchiavi quell’anima
そして本編最後に選んだのが、《仮面舞踏会》のレナートのアリアです。
妻アメーリアと、親友であり主君でもあるリッカルド。
自分が信じていた二人に裏切られたと思い込んだレナートが、怒りと悲しみの中で歌います。
この曲がすごいのは、単なる「怒りのアリア」で終わらないところです。
冒頭には激しい感情があります。
しかし途中から、かつて幸せだった妻との時間を思い出す。
怒りの奥から、愛情と悲しみが見えてきます。
強さだけでは歌えない。
弱さだけでも歌えない。
愛していたからこそ怒り、信じていたからこそ傷つく。
僕がバリトンという声種に惹かれる理由の一つが、こういう複雑な人間を歌えることです。
今回のリサイタル本編の最後に、この曲を置きました。
あの日描いた人生の、その先へ。
こうして並べてみると、今回のプログラムには、いろいろな「男」が登場します。
舞台に生きる男。
夜や霧の中で自分自身と向き合う人間。
理想を追いかけるドン・キホーテ。
失った愛を思うセヴェーロ。
人生の終わりを見つめるマクベス。
愛と嫉妬の間で揺れるレナート。
僕自身も、2017年の修士演奏で「とある男の人生」というタイトルを掲げました。
あれから約10年。
当然ですが、あの頃には知らなかった感情も、経験も、人との出会いも増えました。
同じ作品を歌っていても、20代の頃とは見えるものが少しずつ変わってきています。
だから今回のリサイタルは、過去を振り返る演奏会であると同時に、
ここから先、どんな歌手になっていくのか。
その現在地を聴いていただく演奏会でもあります。
10月3日。
茨木クリエイトセンターで、皆さまとこの時間を共有できることを楽しみにしています。
そしてぜひ、曲を聴いたあとにも、もう一度このページを読み返してみてください。
演奏を聴く前とは、少し違って読める言葉があるかもしれません。
池田真己
