イメージ 1今日発売の増刊現代農業『ギョーザ事件から何が見えたか 食・労働・家族のいま』(農文協)

ギョーザ事件が起きた原因、さまざまあるだろうが、暮らしの中から「つくる」ことが失われたこともその1つでは。

衣も食も住も、たいがいが、買う「モノ」に成り下がった。つまり、他人任せ。「つくる」わざと心を捨て去った暮らしは、便利だが、危うい。

『ギョーザ事件から何が見えたか 食・労働・家族のいま』は、「食のダンピングを超えて」「21世紀は家業の時代」「労働のダンピングを超えて」の3部構成で、

その第3部「労働のダンピングを超えて」中に、当方が取材し原稿を書いた滋賀県湖北町の「どっぽ村プロジェクト」が掲載されている。

このプロジェクトは、「米もつくる大工」と「家もつくる農家」が若者を受け入れ、月10万円の給与を支給しながら、建築と農の現場を通して、建築と農業の両方ができる人材を育成し、3年後に自立=独歩=どっぽしてもらおうというもの。

田舎暮らしや就農というと、多くの場合、土地の手当てやら農業のやり方やらに目が行きがちだが、実は、農業には建築がつきものだ。

すぐ必要になるのは、ハウス、作業小屋、機械小屋、堆肥置き場など。場合によっては、鶏舎やらも。

こういうもの、自分で作れなきゃ、人に頼むしかない。頼めば、お金がかかる。農業するのにお金がかかっていては、肝心の農業がやっていられなくなって、外に働きに出る破目に。これじゃ、なんのための田舎暮らしか… → やがて、挫折ということも…

田舎暮らし3年目の当方すら、何かにつけ思う「大工仕事ができたらなぁ」

家はもちろん、物置、古井戸の屋根、下屋の増築、そして来週からは鶏小
屋と、大工さんを頼み通し。これまで○○円もかかったのに、また○○円
かかる。いまさらせんないことだが、鶏小屋くらい自分でつくれたらなぁ。

50、60年くらい前までは、多くの農家は衣食住をほぼ自給していた。糸を
紡ぎ、布を織り、大工仕事や土木工事もこなした。暮らしに必要なものは
自分の手でつくり出し、生み出していた。まさに「お手は宝や」

家まではつくらないにしても、小屋くらいは自分でつくり、米をはじめとする
食べ物も自分でつくる。これなら、田舎暮らしは、鬼に金棒だ。

「手」という自分の宝物に気づき、その手が生み出す、少し前の当たり前の
暮らしにもう一度戻ろうという試み「どっぽ村プロジェクト」。関心がある方
は、お読みになってみてください。