イメージ 1庭の彼岸花が、飛び抜けて赤い。よく、棚田の畦に植えられて、秋の風物詩といわれるが、ここいらは、本州の真ん中あたり。あまり、見かけない。彼岸花は、西日本に多いのだ。

彼岸花の球根からつくったモチ(団子)を、「死霊モチ」というと知ったのは、10年ほど前だったか。四国・高知の山村でだった。

深い谷底を川が流れ、家々は両岸の急な傾斜地にへばりついている。そこで、地元のお母さんたちから、地域の食について聞いたとき。

1人が、戦中、戦後は、田舎でも、食べものに不自由したと話してくれた。復員してくる長兄に食べさせてあげるものがなくて、家族みんなで、裏山で、うばゆりの球根を集めたと。 (7月28日・「うばゆりは天上界の匂い」→ http://blogs.yahoo.co.jp/dcbaha/14727251.html)

そして、少し声をひそめて言うには、戦時中、彼岸花の球根を掘って、モチを作って食べて、死んだ人がいると。「みんなは、いくら腹が減ったって、シレイモチだけは食わなんだけど、その家は、畑がなかったから。彼岸花でも掘らなきゃ、食うものがなかったんだね」

シレイモチ … ? すぐには、シレイ=死霊、とわからなかった。

たかだか、6、70年ほど前でも、田舎で畑を持たないような家なら、田んぼだって、それほどはなかったに違いない。飢えたのだろう。球根をよく水にさらして、毒抜きすれば、良質のでんぷんが取れて、食べられると聞くが… 「さらし方が足りなかったんじゃないかね」

彼岸花は、もともと、救荒植物として植えられたもの。有毒だ。大飢饉の際など、食べて、死びとが出ることもあった。だから、死人花、地獄花、しびれ花、幽霊花などとも。だから、シレイモチとも! 悲しくも不吉な呼び名だ。人は、こうした呼び名に、飢えと死の記憶をとどめ置いて生きてきた。

以前、お母さんたちは、シレイモチを作って、食べてみようと計画したそうだ。若い世代や子どもたちに郷土の食を伝える活動の一環だった。

が、実際に作ったことのあるお年寄りがいない。やっと、1人のおばあちゃんを
探し当てた。おばあちゃんは、そんなことでお役に立つならと、快く、承知して
くれた。毒を抜くには、沢の流れにさらすのだが、念のため、1週間さらすと言う。

イメージ 2さあ、困った。つききりで見守るのも大変だが、それより、そんなことが
できる沢が、地域には、もうない。が、流水でないとダメと、おばあちゃん。
仕方ない、水道を流しっぱなしでやろうという話までしていたのだが、

結局、お流れに。計画を知った息子さんが、「そんなことを引き受けて。もし、
なんかあったら、どうするんだ」と、おばあちゃんを止めたとか。

で、お母さんたちは、今もって、毒の抜き方も、シレイモチの味も、知らない。

地域の食と、ひと口にくくるが、素朴、懐かしい、あったかい、長寿、ヘルシー
… そんなふうにいわれる食べ物の中、家にたとえれば、奥の座敷の薄暗い
あたり、シレイモチが黙って控えていて、そのまた奥には、死びとの間がある。

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