メッセージやコメントでご指摘、ご質問があったので
ちょっと、書いてみます。
頂いているもの全ての回答にはなっていないと思います。
回答出来ていないものについては、また気力が出たときに
書かせていただければと思います。
今の相方の状態について。
皆さんもご理解頂けると思いますが
これから書くのは、全て私の「推測」です。
相方の状態は、相方にしか分からないと思います。
多分、ドクターも私も他の人にも分からないと思います。
だから、正しいかどうかは分かりませんので
その旨、ご理解頂ければ幸いです。
相方が再び言葉を取り戻したときに、覚えていたら聞いてみましょう。
<死にたいか、生きて居たいか>
ディープな内容ですが、
確かに疑問を持つことです。
なぜなら、相方は「自殺」をしましたから、
その瞬間は、何が原因であれ「死にたい」と思っていたのかもしれない。
でも、その真実も今では不明です。
「死にたい」ではなく、
「死にたいぐらい辛いので逃げたい」だけだったかもしれない。
本当に死にたかったのではなく、逃げたかっただけ。
でも、失敗して、今の状態になっているのかもしれない。
真実は分かりません。
そして、それらは、「過去」のことなので
今は、それらの真実を知ろうとは思っていません。
では、「今」相方は、どんな気持ちなのでしょうか?
実は、私も気になり、相方に確認したことがあります。
これまた、ディープな内容ですが、
一度、相方に「一緒に死のうか」と聞いたことがあります。
もちろん、本気で死ぬつもりはありませんでしたが、
その気持ちを持ったことは嘘ではありません。
それくらい、まだ気持ちが不安定だった頃の話です。
今では、そんな気持ちやそういう話をするつもりもありませんが。。
そのとき、相方は必死な形相で首を横に振っていました。
私は、相方の首を掴みました。
(これも、本当に首を絞めるつもりはありませんでしたよ。
もしかして、、、罪に問われたりしたら。。。怖いですが。。)
すると、相方は、何の抵抗もしませんでした。
そのとき、私は相方に聞きました。
「死にたいの?」と、すると相方は首を横に振りました。
そのとき私が感じたのは、
相方は「分かってる」と思ったのです。
相方は私のことが分かっていて、
私に殺されても「仕方ない」とまで思っているように思えました。
そんな相方を私は殺すことなんて出来ません。
(まあ、そもそも「犯罪」を犯すこと自体が
私の"良心"や人生観からして、あり得ない事なんですけどね)
ましてや、あの日からずっと「相方と一緒に生きたい」と思ってきていたので
少しの瞬間でも、「相方と一緒に楽になりたい」と思った自分を恥じました。
再び相方に聞きました。
「死にたい?」すると、首を横に振りました。
「生きていたい?」すると、頷きました。
今の相方がどういう状態かは分かりませんが、
私が確認し、感じているところでは、
今、相方は必死に「生きよう」としています。
あの時、相方は「うつ病」も患っていました。
今の相方はどうだかは分かりませんが、
「うつ病」というのも関係ないくらい
「生きたい」と思っているものと私は考えています。
だから、私もそんな相方と「一緒に居たい」と思っています。
<相方には私が必要!?>
実は、私は、「相方には私が必要だから、居なくちゃ可愛そう」
とは思っていません。
なぜなら、いつも書いていますが、
今の相方の気持ちや状態が分からないからです。
相方が私を必要としているかどうか、分からないのに
勝手に私が決め付けることは出来ませんよね。
ただ、やはり、私も気になることです。
ですので、機会があるたびに
「わしは必要?要らない?」と聞いています。
そのたびに相方は、「必要だよ」と言っているように思えます。
「必要?」に頷きます。時には「チュッ」をしてくれます。
「要らない?」に悲しそうな表情をしながら必死に首を横に振ります。
そんな様子から推測するに「必要だよ」と言っているんだと思っています。
でも、これも、私の思い込みかもしれませんので、
「真実は相方が言葉にしないと分からない」と思っています。
ただ、親族さんからも音沙汰がないので
一人になったら寂しいだろうなぁ。とは思いますが、
そう思った瞬間。あっ、大丈夫。そんなことにはならないから。
って思います。だって、私が「一緒に居たい」って思っているのだから。
だから、相方は一人じゃないんだ。って分かるんです。
「悲しむから私が居なくちゃいけない」
じゃなくて、「私が居たいと思っているから一人じゃない」
って思っています。ニュアンス通じますかね?
しいて言うなら「私には相方が必要です」とはっきり言えます。
依存しているのを自覚しています。
でも、大切な人を大切に思っているだけ。。。と今は思っています。
他にやらなきゃいけないことがあるかもしれません。
例えば、仕事とかですよね。
でも、今出来ることをやりたいと思っています。
あとで、自分自身で後悔しないように。
仕事はお金を稼ぐために必要だとは認識していますが
とりあえず、親に頼っていますが、生活は安定しています。
有難いことに親も理解し協力してくれています。
(親に大変感謝し、いつか、親に恩返しをしたいと思っています)
それよりも、今自分に出来ること。というよりかは、
今、自分の信念で「やりたいこと」をすることを
私は選択しました。
今出来ることを、今やらなくて、いつやるのか?
正しいか、間違っているかは、
多分、誰にも分からないし、決められないと思う。
なら、自分自身で後悔しない人生にしたいから。
とはいえ、仕事大好きな私は、早く仕事したいんですけどね。
それよりも、今は、相方と「一緒に居ること」
相方の「変化」を見ていたい。と思う気持ちが勝っています。
相方には、最近良く「早く仕事したいよ」って話してます。
だから、「携帯メール使えるようになってね」ってね。
そしたら、いつでも連絡取れるようになるしね。
あと「しゃべれるようになってね」とも言っています。
今日のリハビリでどんなことやったのかを教えてもらいたいですからね。
とはいえ、「仕事」については、いずれ、
今の気持ちと天秤をかけたときに、
改めて、考えなきゃいけないときが来るとは思っています。
<相方は私のことを分かっている?>
これも、私が毎日気が気じゃないことですね。
あの日からずっと気になることです。
相方が自分の言葉で伝えてくれない限り真実は分かりません。
でも、私なりに機会があるたびに確認をしています。
つい最近も「名前」を書いたり、声で伝えたりして
指差し確認で相方と私を区別してもらいました。
また、血液型について聞いたときにも
相方は相方自身と私の血液型を正しく答えました。
今は、そうやって、相方がどこまで覚えているのか。
どこまで私のことを分かっているのかを確認するしかありません。
近い将来、相方が、私の名前を声を出して呼んでくれるときに
きっと、自信を持って、相方が私のことを「分かってくれている」と
感じることが出来るでしょう。
たとえ、全ての過去のことを覚えていなくてもいいんです。
私と言う存在を認識し、認め、受け入れてくれれば、どんなに幸せでしょう。
そして、相方が、私のことを好きで居てくれていることを願います。
とはいえ、毎日、声をかけて聞いています。
「わしは、あなたのことを大好きだよ。
今日もあなたに会えたことを幸せに思うよ。
あなたは、どう?わしのこと好き?」
そうすると、相方は「チュッ」をしてくれます。
私が落ち込んだときなどもいっぱい「チュッ」をしてくれました。
そのほかに、事ある毎に「チュッ」をしています。
おはようの「チュッ」
おやすみの「チュッ」
リハビリ終わってお疲れ様の「チュッ」
車椅子からベッドに戻るときに立ち上がったときにハグして「チュッ」
ちょっと、やりすぎかもしれませんが、
今、言葉がしゃべれない相方との間に感じる心のやり取りだと
自分の中の喜びとして積極的にやっています。
相方も嫌がらずにやってくれる。
そして、時には相方からやってくれる。
相方が、私のことを「大切な人」として、
認識しているかは、くどいようですが、
相方が言葉にして伝えてくれない限り分かりませんが。
きっと、大切に思ってくれていると思いたい気持ちでいっぱいです。
ただ、相方が単なる「キス魔」になっているとしたら
びっくりですけどねw
とはいえ、友達に対して試すのは・・・・気持ち的に複雑ですw
たとえ、過去の「大切な人」という感情を忘れてしまったとしても
これから、新たにその気持ちを育んでいけたらいいなぁ。と思ってます。
<相方の可能性>
くどいようですが、相方の今の状態は誰にも分からないと思います。
医学的に言えたとしても、それは「統計論」でのお話。
統計は、比率を示すだけで100%でない限り、0%でない限り
どうなるかは、結局、「結果」が出るまでは分からない。
今の相方の状態について、「結果」として見るには
まだまだ、早いし、いつまでたっても「結果」として見れないと思う。
事実、相方はドクターが最初に「統計論」で示した
「これ以上回復しない。ずっと寝たきり」という状態から変化した。
病院内の誰も(きっと私以外)想像もしていなかった状態に今はなっている。
相方は日々成長していて変化している。
いや、厳密には、変化ではなく、ただ、以前からそうだったのが
日々私が新たに気づけているだけなのかもしれない。
とはいえ、身体的には日々大きく変化している。
その「変化」の過程である今の状態を
ある一定の固定した「状態」として決め付けることは
今の私には、適切だとは思わない。
まだまだ、未知なる可能性がある限り、
私は相方を信じ、そばでその可能性を見ていたいと思う。
人の「可能性」を他人が勝手に決め付けて
存在する「可能性」を否定することはおかしいと思う。
だからこそ、今もなお
「話せるようになる」
「右手を動かす」
「歩けるようになる」
と強く信じている。
それらの可能性が完全に「否定」され「決定」されるまでは
誰にもその可能性を「否定」出来ない。
そう、「否定」出来るとしたら、相方自身なんだと思うから。
だから、相方が諦めない限り、可能性は残されていると思う。
まあ、とはいえ、正直、入院前と全く同じに戻るとは思っていませんが
今出来ないことでも、出来ることが増えていくとは思っています。
突拍子もない発想で脱線話ですが。。。
「相方が入院前の状態に戻れる」と仮説を立てた場合、
どうすれば、そうなるのか。なんて、考えてみると面白いですよね。
もし、人間が「老化」しなければ、
「脳の未知なる自然治癒能力」で元に戻れるかもしれません。
しかし、今は「時間」とともに「老化」してしまうため、
せっかくの「脳の未知なる自然治癒」で治るかもしれないのに
時間足りなくて脳の老朽化で成しえないだけかもしれませんね。
将来、誰かが本当の意味で「老化」しない発見をしたら
人のあらゆる病気が人の「自然治癒」能力で治るかもしれませんね。
(医学は詳しくないので、"絶対無理"という病気もあるかもですが
そこは、突っ込まずにそっとして置いてください。m(__)m )
なんて、まったく関係ない空想物語を書いてみました。
私の思考はたまにこんな風に働いています。
相方が再び、歩き、しゃべり、右手を動かす。
そんな「仮説」を立てた場合、
それらの「可能性」を否定する要素が浮かばないのです。
だから、私は相方の可能性を信じようと思うのです。
おしまい。ちゃんちゃん。
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