この記事は、落ち着いてから書き綴っています。(2011/7/3記)
 
 今思えば、いろいろと考えてしまう日になった。
 
 朝はいつもと変わらず、自分が仕事に出かけるのを相方が見送ってくれた。
 それが、声を交わした最後だった。
 まさか、こんなことになるなんて。。。
 
 仕事を終え、いつもの帰るコールをするも連絡が取れず。
 
 その時点で、なんとなくわかってたんだ。
 きっと、もう、楽になったんだ。って。
 苦しかったんだね。って。
 
 ちょっと前から数回自殺未遂をしていた。
 そのたびになんとか踏みとどまっていた。
 
 「もう、自殺はしない。信じて」
 その言葉が今も忘れられない。
 僕は信じてたよ。
 でも、また裏切られた。
 
 それでも、今のあなたの姿を見て、
 いや、この日、あなたを見つけ
 病院で「これ以上回復しない」と言われたときも
 ずっと、「あなたを信じる」と固く誓った。
 あなたを不安にもうさせない。
 
 僕が居ることが、あなたの支えになるならば、
 なんど裏切られても、あなたを信じ一緒に居る。
 
 だから、一緒に家に帰ろう。
 
 
 <車の中で発見>
  実は、一旦、諦めていた。
  「楽になったんだね」って。
  そして、「あなたの最期を見たくない。怖い」って正直思った。
  家に帰り、相方の姿はなかった。
  ちょっと前の自殺未遂では必死に探したのに。
  なんだか、気持ちも疲れてしまった。
 
  いいよ。苦しかったんだもんね。
  楽になって。ゆっくり休んで。
 
  正直、そんな風に考えてしまった。
  自分には用事があった。
  冷静を装い、相方を探さず、用事に出かける準備をしていた。
 
  1時間ほど。。。準備をしていた。
 
  ふと、相方の姿がないのが、とてつもなく寂しくなった。
  そしたら、「いやだ!」って思った。
 
  一人にしないで。
  だめだよ。死んじゃ。
  どこにいるの?
  おうちに帰っておいで。
 
  いろいろな気持ちがあふれてきた。
  でも、それとともに、とてつもなく怖くなった。
 
  相方の最期の姿を見たくなかった。
 
  用事先に連絡をしてキャンセルさせてもらった。
 
  怖かったけど、それでも、やっぱり、
  僕が君を見つけてあげたい。
  そう思った。
 
  もう、それからは、何がなんだか、よく覚えていない。
  震える体を動かして、屋上に行き下を見た。
  頭が混乱してしまったので、一服をした。
  タバコを取るときに、ズボンのポケットに入っているはずの
  車のカギがなかった。
 
  慌てて駐車場に行った。
 
  遠くから見えた車のフロントガラスが曇っていた。
 
  怖かったが、近寄った。
  相方が中にいた。
  慌ててスペアキーでドアを開けた。
 
  叫んだ。
  「起きろ!」「死んじゃだめだよ!」
 
  震える手で、携帯で救急車を呼んだ。
  もう、何を伝えたかはっきりと覚えていない。
 
  相方を抱きしめた。
  胸の音を聞いた。
  心臓が動いている。
  呼吸もしてる。
 
  死んでないんだよね?
  生きているんだよね?
 
  僕は医学には全く無頓着。
  相方がどんな状態になっているのか分からない。
 
  救急車、救急隊、警察。
  いろいろな車が駐車場に現れた。
 
  相方の処置をしてもらっている間。
  良くわからないが、たくさんの人に同じことを聞かれた。
 
  無意識に、気丈に振舞っていた。
  相方のこと、知っていること。
  それを淡々と話した。
 
 <病院に移動>
  救急車に一緒に乗せてもらい、病院に移動した。
  どうしていいのか分からず。
  周りの目を気にせず、相方の手を握って名前を呼んだ。
  ただ、それしか出来なかった。
 
  もう、何がなんだか分からなかった。
  ただ、心臓が動いていること。呼吸をしていること。
  生きている。って思いたかった。
 
  警察の人がそばに居てくれた。
  いろいろと聞いてきた。
  直接の言葉を使わなかったが、
  警察の人には、素直に話をした。
  そしたら、分かってくれた。
 
  ドクターから
  「ご本人は延命を希望されていますか?」
  と聞かれた。
  そんな。。。どういうこと?心臓動いていたじゃん。呼吸してたじゃん。
  相方の生きる力を信じたくて、自分の気持ちを伝えてしまった。
 
  しばらくして、
  「もっと高度医療の病院に転送します。準備しますのでお待ちください」
  と言われた。
  どれくらいの時間が経ったのかは良くわかっていない。
 
  それとともに、「親族の連絡先わかりますか?」と聞かれたので
  教えた。
 
 <高度医療病院に転送>
  再び、相方と会えたのは、着ていた服を脱がされた状態。
  それ以外、どんな状態なのか分からなかった。
 
  再び、救急車でどこを走っているのかわからない状態で移動。
  ずっと、手を握り、名前を呼んだ。
 
  再び、一人で待つ時間。
  どうなっているのか分からず。
 
  しばらくして、連絡を受けた長女、長女の旦那、姪、次女が現れた。
  相方の親族全員だ。両親は既に他界しているからね。

  相方は3人兄弟。

  姉2人(長女と次女)と長女の旦那と長女の娘(姪)が来た形だ。
 
  長女、長女の旦那とは面識がある。
  姪は、初めて。
  次女とも以前、話したりしたことがある。
 
  次女が心配そうに「大丈夫?」って聞いてくれた。
  それがとても嬉しかった。
  「大丈夫じゃないけど、信じるしかないからね」と答えた。
 
  長女、長女の旦那は、僕には何も話しかけなかった。
  相方の脱がされた服や荷物も僕が預かった。
 
 <ICUへの入室とドクターからの説明>
  ドクターが現れた。
  状況を説明したいので、話が聞ける人は中に入ってください。
  とのことでした。
  「入れるのは原則として親族だけです」と言われた。
  想定はしていたが、自分はお願いした。
  「僕も入れて話を聞かせてください」
  すると、長女の旦那が「親族だけってことなので・・」と断ってきた。
  それでも、自分はお願いした。
  すると、ドクターが「親族が許可すれば大丈夫です。」と。
 
  それでも、長女の旦那は、「原則、親族だけってことだから。」と断ってきた。
 
  なんで?自分は、更にお願いした。
  すると、ドクターが再び「親族が許可すれば大丈夫です」と。。
  その言葉に長女が許可してくれた。
  長女の旦那は、渋々認めた感じだった。
 
  なんで?
  そんな気持ちもあったが、中に入れてもらえた。
 
  中に入るといろいろな管につながれた相方がいた。
  ドクターがいろいろと説明をしてくれた。
  自分は医学的なことは全然分からない。
  ただ、目の前に相方がいる。という現実を知った。
 
  ひたすら相方に声をかけた。
  「誰も怒ってないよ。だから怖がることはないよ」
  「みんな許してくれるよ。だから、目を覚ましてごらん」
  手を握り、顔を撫で、いっぱい話しかけた。
  親族の前だから、涙は我慢した。
 
  自分が占領しちゃったからかな。
  親族は次女以外、誰も相方に近寄ろうとしなかった。
  次女は、一緒に声をかけてくれた。
 

  ドクターの説明はほとんど何を言っていたのかは覚えていない。

  ただ、

   「植物人間状態です。
    脳は重度な一酸化炭素中毒の為、
    これ以上の回復は厳しいです。」
  という言葉だけが残っている。


 <ICU病棟>
  その後、ICUの病棟に移動になった。
  親族は、みんな「トイレ」ってことで、
  相方と僕は一緒に先に移動した。
 
  相方は、いろいろと準備があるということで
  しばし、待っていてください。って言われたので
  親族が来るのを待って、デイルームに誘導。状況を説明した。
 
  不思議だった。
  「トイレ」って。。。生理的に出るものは仕方ないが。
  勝手の分からない病院なのだから、
  迷子にならないように相方のそばに一緒に移動しないのかな?って。
 
  そして、準備が出来て、ICUに入らせてもらった。
 
  いろいろなオムツ等の必要なものの購入を親族がしてくれた。
 
  そして、最後に
  「この部屋は原則親族だけのお見舞いです」
  と言われた。
 
  ここでも、僕は当然お願いした。
  「自分も入らせてください」ってね。
  そうすると、また、長女の旦那は「親族だけってことだから」って断った。
  それでも、自分はお願いした。
  すると、看護師さん?が、
  「親族の方が許可すれば、名前を登録しておきますので大丈夫ですよ。」
  と言ってくれた。
  その言葉で、また、長女の旦那は渋々許可をした感じだ。
 
  正直、長女の旦那は嫌いだ。
  その後も、いろいろとあった。
  以前、彼は「親族ですから」と言ったことがある。
  「だからなに?」って気持ちになったんだけどね。
  それもあって、すごく悔しかった。
  でも、結果、許可をもらえた。
 
  親族が到着してから、いろいろあって、1時間ほどの
  24時頃に親族は帰っていった。
  車で来ていたんだろうね。
  帰るときに、特に僕に挨拶はなかった。
 
  結局、長女、長女の旦那は、僕には声をかけることはなかった。
 
  僕は、そばに居たかった。ずっとそばに。
  手をつないで、朝、目覚めたときに、目の前に居てあげたかった。
 
  看護師さんから「ここには泊まれないのです」と言われた。
  「帰れないのですか?」と聞かれたので
  タクシーで帰れない距離ではなかったのですが、
  「お金がないので・・」と言うと、休憩室を教えてくれた。
  そして、毛布を貸してくれた。
 
  自分はそこに移動して、椅子で仮眠を取った。