6月1日から学校が再開して
日常に戻りつつあります。

再開初日の朝、3人を見送って
1人になると、静まり返る部屋に
ホッとしました。   

久しぶり、よく頑張った私。

昼食のこと考えなくていい、作らなくていい
午前中仕事をしながら家で留守番している子ども達を心配しなくていい
仕事を終えて急いで帰らなくていい

お昼休みにゆっくり休める
静かな部屋で静かに過ごせる
1人の時間がある
誰にも話しかけられない(1人だからな…)

なんて、すんばらしいんだ。

コロナ以前の生活には戻っていないけど
少しずつ安心を取り戻していることを実感して
またホッとしました。

日常に戻っていく安心感も、丁寧に味わって
自分のエネルギー源にしていこう♪


誕生日。
今までにない満足な日でした。


午前中、また娘たちが家事をしてくれました。
今日は、雑巾がけと玄関そうじ、洗濯物に皿洗いに風呂そうじです。

昼、父が家に来てくれました。
確か、去年も来てくれたような…
特に誕生日だからとは言わないんですが、きっと私の誕生日だからわざわざ来てくれるんだと思っています。
お寿司に連れていってくれました。

午後、夫が早く帰宅してくれました。
一緒にケンタッキーを買いに行って
夕御飯はパーティーでした。
デザートにはケーキ🍽️


自粛生活が明けたら、お寿司、海鮮、ケンタッキー、ケーキを食べたかったので全部叶いました。



長女からは絵のプレゼントも。

「お母さんから生まれてきてよかった!!」
これは嬉しい。

私は度々、
「◯◯(名前)はお母さんのお腹のなかにいたんだよ」
「お母さんから生まれたんだよ」
「だから、とっても大切な子どもだよ」
と伝えています。

何でかというと、私が子どもの頃、
「お前は橋の下から拾ってきた」
と言われたことがあって深く傷ついたのを覚えているからです。
母の冗談かもしれないし、イライラして吐き捨てた言葉だったかもしれないけど、それは言って欲しくなかった。母への信頼は減ったし、嫌いになったし、私は母に嫌われていると思いました。
(だいぶ話がそれてしまった…💧)


とにかく想いは一つだけ。
私にとって特別な人たちに
大切に扱ってもらえて、とっても嬉しかった。




明日は私の誕生日
子ども達は、お祝いの気持ちをお手伝いで表してくれました。
前日祭ですなー♪ヽ(´▽`)/
(今の私には、そういうのが一番嬉しいのだ)

長男は風呂洗い
長女はお皿洗い&風呂排水溝洗い
次女は洗濯物

これで1日のほとんどの仕事が済んだ。
本当に助かる、嬉しいー
(そのそばでケータイゲームに勤しむ母←コラッ)


子ども達はそれぞれに
工夫をしたり、こだわりを持っていて
やりながら教えてくれました。

「お皿洗いするときは
たくさん溜めると大変だから
少しずつ洗って片付けてを繰り返してるんだ」

「洋服は裏返しだと着にくいから
表にしてからたたむの」

「排水溝はシャンプーの後にやると
泡だらけになっちゃってやりづらかった」

私は、「そうなんだ」「ありがとう」を伝えて
見守ることにしました。


自分自身を振り返ると、子どもの頃にいろんなことを祖母から教わりました。
祖母はこだわりが強くて、その通りにやらないと目の前でやり直されたり、そのやり方の必要性を説いてきました。
ためになったこともあるけど、今考えると私には合わなかったです。


だから私は、子ども達にお手伝いを頼んだり、家事のやり方を教えるけど、基本的にはやってもらうだけで感謝くらいの感覚でいます。
何度かやっていく中で自分のやり方を見つけてくれたらいいかなとも。

「皿が洗い足りなければ使うときにさっと拭いたらいい」
「洗濯物はシワがあったって着れる」
「風呂は洗い残しがあろうがどおってことない」

私にとって、やり方とか完璧さはどうでもいいことないんだ。
「お母さんのために」という気持ちと、実際に「やってくれた」という事実だけで最高の愛を感じてしまう。


愛情表現や愛情と感じるポイントは人それぞれだから、相手の行動は愛情なんだと気づけたらいいですね。



(きっと、祖母も愛情表現だったんだろうな…)